永遠に渇くことがないために。
戦略コンサルを辞める、という決断含め、私が自分らしい決断ができるようになったのは、
「そんな本物、私はいらない。」
そう言えるようになったから。
「そんな愛、私はいらない。」
「そんな尊敬、私はいらない。」
「そんな憧れ、私はいらない。」
それでも、私は、
私で在ることを、心の底から
喜びに感じている。
外からの称賛なんて、
肯定なんて、
一切関係ない。
これは、もう、
私の中で、完結しているのだ。
あとは、溢れ出て、流れていくだけなのだ。
私の生き方として。
エネルギーとして。
愛として。
外側からの賞賛を求めて、外に探すのを辞めた。
自分の内側からの喜びに沿って、生きていくことにした。
結局は、楽なんだよね。人が定めたルールに沿って生きるのは。人が定めた基準に乗っかるのは。
流れに乗ればいいだけだから。そして、何が結果であろうと、人を非難できるから。
でも、それで行き着く先が、本当に喜びに溢れているか?
本当に、自分自身を表現する生き方になっているのか?
そもそも、そういう生き方って、苦しくないか????
私は少なくとも、ずっと苦しかった。
常に、その基準からズレてしまわないか、怖かった。
必死に自分を作り上げなきゃいけなかった。
常に、周りと比較して生きなきゃいけなかった。
自分という存在が、いつも不安定なものに感じた。
周りから賞賛を得られたとしても、
そんなの全然、愛の中にいる、なんて感覚じゃなかった。
いつも、いつこれを失うんだろう、という恐怖と背中合わせだから。
だから、そんな世界をやーめたってしたのです。
これだって「本物」でよいってことにしよう♡自分の世界は、自分で決められるのだ♡
こちらの記事(社会不適合者でいいや)にも書いた通り。
勝ち負けの世界で生きている人たちは、
本物の、渇くことのない、水を知らない。
私もそうだった。
渇いていた。いつも、いつも。
だけど、永遠に内から湧き上がってくる、
その愛を、教えてもらったのです。
“Jesus replied, “Anyone who drinks this water will soon become thirsty again. But those who drink the water I give will never be thirsty again. It becomes a fresh, bubbling spring within them, giving them eternal life.” “Please, sir,” the woman said, “give me this water! Then I’ll never be thirsty again, and I won’t have to come here to get water.””
John 4:13-15 NLT
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
ヨハネによる福音書4:13-15
内から、湧き上がってくるんだよ。
外に探しにいくものじゃないんだよ。
自分の内側に、源泉が在るのだ。
渇くことのない水が、そこに在るのだ。
外を探す前に、まずはそこを、ちゃんと見てあげよう。
そこから、自分の世界は創造していけるから♡