お花がある暮らし②:「今」を感じよう

以前の記事で、お花がすぐそこにある暮らしをしていこう、と決めました。というお話を書いた。

実際、お花と暮らしてみて、目に入るたびに嬉しくなってしまう毎日で、本当に幸せだなぁ〜、と感じてます。

ドライフラワーも好き

だけど、やっぱり、生花が好きだ。

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昔は、ドライフラワーの方が良い、と思っていた。

手間もかからないし、ずっと同じ形でそこにいてくれるから。


でも、生花をすぐそばに置いて暮らすようになって、

やっぱり私は、生花が好きだ、と再確認したのです。


その芳しい香りも、瑞々しい姿も、柔らかそうな花弁も、どれも、見るたびに感動する。なんて美しいのだろう、って。

そして、ふと香るそのアロマに、心から癒される。

そのどれもが、大好きだ。



今までは、手間がかかることが嫌だった。

(でもそうじゃなくなった話はこちら


そして、老いていくものを、枯れていくものを見るのが嫌だった。

その美を失っていくのを見るのが、嫌だった。


綺麗なのなんて一瞬で、すぐにみすぼらしくなってしまう。残念な姿になってしまう。そんな姿を見るのが、嫌だったんだろうね。


どんなに手をかけたって、いつかは枯れてしまう。

そんなものに、どうしてエネルギーを費やすのだろう。って、

心のどこかで思っていたんだ。


私は、永遠に続くものが欲しい。

終わりのあるものを、わざわざ望んだりしない、って。



でも、この記事でも書いた通り、

豊かさって、永遠に手元に残ってくれる何か、ではない。


その瞬間に、私を通り抜けていくものなのだ。


そこに、私自身が、何を感じるのか、ということなのだ。



形を変えていくもの、美を失っていくのを見るのは、とても悲しい。

でも、同時に私は、その姿からたくさんのことを学ばせてもらっているのだ。


今は、この瞬間しかない。

この瞬間を、心から味わいなさい。って。

変わらないものなんてない。

代わり映えしないものなんてない。

でも、変化は悪いことではないのだよ。

日々、その変化を、感じ、楽しんで行きなさい。そんな、喜びの日々を、積み上げていきなさい、って。


こうやって感じられることが、神様からのとっておきのギフトであり、私たちが、個々の肉体を与えられた理由なのだから。


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