お花がある暮らし


お花がすぐそこにある暮らしって、ずっと憧れだったのです。


お花に囲まれる、までいかなくていい。

ただ、そっと、そこに、お花が居てくれる暮らし。

そんな暮らしに、ずっと憧れていた。


でも、なぜか今まであまり、自分の家に飾るお花を買う、という行為を進んでしてこなかったんだよね。


お花屋さんで足をとめるものの、

「う〜ん、、やっぱり高いよなぁ。。」と思って、

買えずにいた。


高いよな、とか、手入れの仕方わからず、すぐ枯れちゃうかな、とか、またすぐに家を留守にするしな、とか。なんだかんだ言い訳つけて、買わずにいた。


お花は、贅沢品のような設定、というか、考えがあったんだよね。

贅沢品=あっても、なくても良いもの。滅多に買えないもの

みたいな。

でもなんでだろう?不思議だよね。

なんでコンビニで数百円払うのに抵抗がそれほどないのに、お花屋さんだと躊躇するんだ?

1000円のランチは払うくせに、お花に1000円だとう〜ん、、、と思うんだ?

そう考えた時に、

これって本当に、好みの問題なんだな、と思ったのです。

何にいくら払うか、というのは、それぞれの中で、それぞれの設定がある。

コーヒーに500円は高すぎる!という人もいれば、そうは思わない人もいる。

タバコなんてお金の無駄!と考える人もいれば、そうは思わない人もいる。

これって、収入どうこうではなくて、本当に、その人の設定次第なんだよね。

で、私は、「お花にはお金をかけれない。」と心のどこかで思っていたんだろうね。

だからいつも、お花がほしいな、思いつつ、買うことをしなかった。


でも、昨日、病院帰りにお花屋さんに、どうしても立ち寄りたくなって、

お花を買ってしまった。



Adjustments.jpeg

、、、幸せ♡


謙ちゃんがいつも座る席の後ろにあって、

ふとした時に、大好きな人とお花が視界に入るだなんて、

なんて幸せなことだろう。


とってもシンプルだけど、我が家にしっくりくるお花。

見るたびに幸せになるから、やっぱり買ってよかった♡と思う。


美しいなぁ。

見るたびにそう思う。

どうしてこんなに、美しいんだろう。


そのフォルムといい、気品といい、、



綺麗なお話が似合う女性でいたいよね。

街角でも、花束を抱えている女性(もちろん男性も!)を見ると、とても嬉しくなってしまう。ドキドキしてしまう。

素敵だな〜♡と心から思う。

私も、そんな女性になりたいな。


そして、「買う」という行為を通して、

季節の移り変わりを、グッとそばに感じることができる。


ひとつひとつのお花の名前を知って、愛でることができる。

自分の好みも、知っていける。


そんな一つ一つのことが、とてつもなく豊かなことだよね。



こんなふうに、

生活の彩りも香りも豊かさも

極上のものにしてくれるだなんて、

なんて素敵なんだろう。。


お花がすぐそこにある暮らしをしよう、と、

改めて心に決めた1日でした。




そうそう、美味しそうなものがある暮らしも好きなので笑

ビスコッティを焼いた。



目で見て楽しむ♡ってとても大切♡



ありがとう、ありがとう、ありがとう。




「また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 

きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 

これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

マタイの福音書 6:28-34

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