不安にならないんですか?という質問に思うこと

こちらの記事を書いた際に、


「不安にならないんですか?」という質問をもらいました。

それで、今までにも幾度となくこの質問を受けてきたんだけど、

うまく言葉にできずにいたんだよね。

それは、人によって、「不安」の正体が違うから。

だから、私がどう感じるかは、あまり参考にならないのじゃないかな、と思って、

うまく答えられなかったのです。

「不安」の正体が何であるかは、自分自身に問う必要があるから。


ただ言えるのは、

不安は打ち消すものではなくて、自然に消え去っていくもの。

ということ。

不安をきちんと受け止める、ということ。それは、漠然とした不安を抱えて歩むのではなくて、自分が何を恐れているかを知っておく、ということ。


例えば、私の今回の自宅出産の場合は、

赤ちゃんや私の身体に万が一のことがあったときにどうするのか。ということが、一番の不安だった。

死ぬのを恐れている、というわけではなくて、私や赤ちゃんに何かあったときに、

謙ちゃんや残された人が「なんであの時、あんな選択をしたんだろう。。」と後悔する可能性に対して、不安があった。

で、それじゃあどうこれに向き合ったかというと、

自分の本来の願い「謙ちゃん、理央と赤ちゃんを迎えたい」を念頭に置いた上で、

上の不安がどうやったら少しでもはっきりするだろう、と考えたのです。

それは、過去のデータを調べたり、助産師さんとの面接を重ねたり、いろんな人の意見を聞いたりすることで、

本当に私や赤ちゃんの健康に害が出る可能性が、客観的にどれだけあるのか、ということについて調べたんだよね。

で、もちろん0%ではない。(これは、病院で産もうが、自宅で産もうが同じなのだけど)

で、その上で、じゃあやっぱりどうしたい?と自分に問うた。

そして、謙ちゃんとよくよく話し合った。

もし本当にそうなっちゃう場合は、しょうがない、とその責任を全部受け止める。

ただただ、それだけのこと。

で、不安がなくなるから、行動できる、というわけではないのです。

不安の受け止めつつ、その決断に伴う結果に責任を持つ、という覚悟を持つ。

そして、一歩一歩、進んでいく、という感じ。

それは、自分と神様との歩みの時もあれば、謙ちゃんや理央と一緒の歩みの時もある。

こうした、一つ一つの不安を受け止めて、進んでいくことで、自分と神様への信頼、また、パートナーとの信頼がどんどんと強くなっていく、ということ。

そうすると、振り向いた時に、不安というものが消え去っているのです。

これは、訓練のようなものかもしれない。


私たちの結婚した時に、指輪に刻んだ聖句箇所は伝道の書の4章12節なのだけど、

そこには「三つよりの綱はたやすくは切れない。」とあるのです。

これは、神様と、私たちで織りなす綱。

絆が太く切れないもののように、頑丈に感じられるようになっていく。

そうすると、今までの漠然とした不安がどんどんと消えていくんだよね。

「平安があなたと共にありますように」、というイエスの言葉は、神様と共に歩けば歩くほど強く感じる。


そしてもうあとは、祈る。

神様にお願いする。

それは、「そうなりませんように。」と祈るのではなくて、

「私たちが進むべき道を示してください。」という祈り。

もし、今歩む道があなたの望むものと違うのならば、それを示してください、という祈り。


この道でいいかい、、??というのは、いつも手探り

この道でいいかい、、??というのは、いつも手探り

出会って1年も経っていない謙ちゃんとの結婚もそうだった。

職場を一年で去る、と決めた時もそうだった。

アフリカに行く、と決めた時もそうだった。

乳児を連れてアフリカに戻る、と決めた時もそうだった。


「不安になることはないの?」と、ものすごくたくさんの人に聞かれた。

そりゃ、不安になることはある。怖くなることもある。

でも私は、自分の中にある不安の正体を、知っている。

だからこそ、その不安を光の元に持ってきて、恐れずに、一歩一歩進むだけなのです。

それが、私の生きたい在り方だから。

神様と歩む先にある、よりよいものを求めていくことを恐れない。

自分の願ったその想いにはその価値がある、と信じて一歩進めるか。


むしろ、「人がそうしているから」という理由で、物事を決めるとき、心の奥底で、ザワザワする時ってない?

私はその方が、よっぽど不安になる。


「本当にそれで良いの?」と感じた自分の疑問にきちんと向き合えていない、ということが、不安の根源なのだもの。

「本当にこれで良いのか?」という問いが自分の中に浮かんだときには、

ひたすら自分に潜ること。

周りがどうこう、ではなくて、私はどう感じ、どう思っているのか、を、素直に見つめてあげること。

それが、まずは第一歩かな。

あなたの願いはなんですか?

あなたの不安はなんですか?

1人でも多くの人が、神様が与えてくれる、内に輝くその願いを、素直に求めていくことができますように。



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