愛ってなんだろう?
子育てをしていると、「こういう時はこうするのが正解。」「これが正しい子育ての仕方」みたいなのが無数にあって、混乱することがある。
子育て本、みたいなものには、正反対のことを言っていることが、珍しくないもの。
だからこそ、「愛さえあれば、大丈夫。」と言っている人がいて、私も心からそう思う。
ただ、「愛ってなんだろう?」。
愛の形って、いろいろあるよね。転んだ時に手を差し出したい、と思うのも愛だし、自分で立ち上がる強さを身につけてほしい、と思いあえて手を差し出さないのも、愛なのだ。
一升餅担いでガン泣き。これは親のエゴ?笑
どういう形で愛を表現するのかって、本当に無限に形がある。
行動としては、真反対のことをしていても、根っこの思いとしてあるのは、同じ愛だったり、するんだもの。
んじゃ、何が正しいんだろう?
それを行動の次元で良い・悪い、正しい・間違い、と判断しようとしている限り、永遠に迷うことになる。
こういうときこそ、聖書に立ち戻るのです。
“Love is patient and kind. Love is not jealous or boastful or proud or rude. It does not demand its own way. It is not irritable, and it keeps no record of being wronged. It does not rejoice about injustice but rejoices whenever the truth wins out. Love never gives up, never loses faith, is always hopeful, and endures through every circumstance.”
1 Corinthians 13:4-7 NLT
“愛は寛容であり、親切です。愛は決してねたみません。また、決して自慢せず、高慢になりません。 決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。また、いら立たず、腹を立てません。人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても気にとめません。 決して不正を喜ばず、いつも真理を喜びます。 愛は、どんな犠牲をはらっても誠実を尽くし、すべてを信じ、最善を期待し、すべてを耐え忍びます。”
コリント人への手紙Ⅰ 13:4-7 JCB
今、私は、どの愛でこの子に接しているだろう?
どの愛でこの子に接したいだろう?
この子への「愛」は、本当に純粋な愛かな?
我が子にとって、”一番”良いことはなんだろう?とよく考えていた。でも、”一番”なんて、この子にはないんだよなぁ。
この子には、明日もない。昨日もない。ただただ、今がある。
他のどんな世界もない。今、目の前がある。
それは、どんな世界に見えるだろう。
どうか、愛で溢れる世界でありますように。