謙虚さについて
どうしたら、謙虚になれるかなぁ、というのが、私の中で課題だったんだけど、
そんなときに、
「人間、自分に本当に自信がないと、謙虚になれない。」河合隼雄
って言葉を見つけて。
最初は、??って感じだったんだけど。
妙に納得する部分があったんだよね。
人間、本当に自信がないと、謙虚になれない。
何事にもオドオドして自信のない態度は、見る者を不快にさせます。
ただの意志なし。
謙虚になるって、
自分を低くして他の人に卑屈にへりくだることではなくて、
どこまでも自分が道半ばであることを実感していることだった。
そして、自分が何者であるかを自覚していることだった。
それは、素直である、とも言える。
素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても耳を傾ける心である 松下幸之助
素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを 得ようとする謙虚さを持った心です。松下幸之助
自分に自信がない人は、
自分の一部を批判された時、自分の全てが否定されたと受け取る。
だって、自分に自信がないから。
だから、批判に対して過剰に反応して、全力で相手の間違いを指摘しようとする。
自分を守るために。
自信がある人は、そういうことをせずに、間違いは間違いだと、受け止められる。
これは、自分に自信があるから。
だから、人から言われたことを、素直に受けとめられる。
そして、それに対して、柔軟に学ぶことができる。
だから、繁栄していく。
自分が人からの批判をむやみに恐れていたりするならば、
それは自分があるのではなくて、プライドが高いからだよ。
自分のことが信じられないのに、自分の今の現状が嫌なのに、自分に悪いところがあるのを分かっているのに、それを認めようとしないから、
全部が崩壊し始める。
認めればいい。自分がどんだけ小さい人間か、自分がどれだけ未完成な人間か。
それを、認められない人に、謙虚さはぜッッタイに身につけれない。
でもそれは、プライドを低く保つ、とも違う。
どこまでも高みを目指していくこと、その姿勢の中に、謙虚さがある。
逆に言うと、謙虚さがないと、高みを目指していけない。
現状を見つめる勇気。
そして、それを認める潔さ。
その上で、高みを目指していく学びの姿勢。
そこに、謙虚さが存在する。
逆に言うと、
謙虚じゃないというのは、
現状を見ることもできず、
受け止めることもできず、
変わろうともせず、
学ぼうともしない時。
謙虚じゃないよね。
それでいて、自分のことを守ろうとしていたら、
他人へ攻撃を始めるだけで、誰に取っても迷惑な存在にしかならない。
ということで、
自分が未だ道半ばだということ。
未完成な人間だということ。
それを、先人達を見つめる中で、痛いほど学ばされているこの頃です。
自分の鼻を何度もへし折られて学んでいる、、
私はプライドが邪魔して、学ぼうとしないことがよくある。。
自分への本物の自信を身につけて、
本物の謙虚さを、手に入れていこう。
Deuteronomy
Remember how the LORD your God led you all the way in the wilderness these forty years, to humble and test you in order to know what was in your heart, whether or not you would keep his commands.
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