やってみたい!という衝動
最近、「転職しようかな、と迷っていて、、」
という相談を受ける機会が何度かあったんだけど、
私は、「んじゃ、転職してみれば良いんじゃない?」と思う。
それって、転職すれば全てが良くなる、なんていう期待はまぁ捨てた方がいいと思うのだけど、
もっともっと、内側にある葛藤と向き合う機会になるんじゃない?と思うのです。
「転職したい」と思っているってことは、
それって、「こういう条件が良くて、、、」
みたいなやつの前に、
「自分はこういう生き方がしたいと思っています。それが今の生活では、できていないんです。」
っていう叫びがある、ってことなんだよね。
それは「退屈」なのかもしれないし「慣れ」なのかもしれないし「勤務時間」なのかもしれないし「嫌な上司」なのかもしれないし、「給料」なのかもしれない。
どれにしたって、そこに自分の願っている生き方との相違があるって、ことだと思う。
自分が、「こんなはずじゃない!」と思っているのはどんなところなの?
もっともっと、叶えてあげたい魂からの願いがあるんだろうな、と思う。
それを、深く深く掘り下げていってあげてほしい。
そこに根っこがあるならば、それを知るだけで、とても毎日は楽になる。
それが、得体の知れないものならば、まずは、やってみればいいんじゃない?と思うのです。
私も色々な「やりたい!」っていう衝動によく駆られるタイプなのだけど、
昔から
海に行きたい!とかドライブ行きたい!とか、
バイク乗ってみたい!とか、
コーヒー豆積みにハワイ島行きたい!とか、
ー30度のカナダの農家でクリスマス過ごしたい!とか、
日本の農家さんと餅つきしたい!とか、
暖炉のある生活してみたい!とか、
アフリカのサファリに行ってみたい!とか、
ヨーロッパ留学してみたい!とか、
チョコレートをカカオ豆から作ってみたい!とか、
ウミガメと泳いでみたい!とか、
なんだかわけわかんないような衝動に駆られて、
なんだかわけわかんないようなことも、たくさんしてきた。
それは、知りたい。から。
自分がそこで、
何をみて、
何を嗅いで、
何を感じて、
何を思うのか。
知りたい。
それって、止めようがない衝動なんだよね。
だって、やってみないと分かんないことって、たくさんある。
その「知りたい」って、私にとっての原動力。
だからこそ、
「やってみればいいんじゃない。」っていうのです。
我が家の一番のチャレンジャー
だから同時に、「これこれしてみたいんだけど、、」と言いながら、
何も行動をしない人は、とても勿体無いな、と思う。
不満があるのに、それをそのままにしておくのは、
誰も幸せにならないと思うんだよな。
ただ、
「今の現状から逃れたい思いからの一手」は、うまくいかないことが多い。
だって、自分の本当の願いって、そういう表面的なものじゃないと思うんだよね。
それは、もっともっと、自分に深く潜って、その根っこを見つけてあげたい。
そうじゃないと、根本的には解決されないから。
そうじゃなくて、
「新しい〇〇に挑戦してみたい思いからの一手」は、後悔することはない。
そうやって積み重ねた経験って、絶対に自分にとってプラスになるし、他の人へもプラスにしていけるもの。
この3年で学んだのは、
「自分の中に」深く潜っていく、ということ。
自分の願いは、「自分の中に」あるのです。
神様が、与えてくれているものが、そこにある。
「They know the voice of the true Shepard.」
みんな、その本当の声を、知っているはずだから。
“The gatekeeper opens the gate for him, and the sheep recognize his voice and come to him. He calls his own sheep by name and leads them out. After he has gathered his own flock, he walks ahead of them, and they follow him because they know his voice. They won’t follow a stranger; they will run from him because they don’t know his voice.””
John 10:3-5 NLT
“門番も羊飼いには門を開けてくれます。彼の声を聞くと、羊は回りに駆け寄って来ます。羊飼いは一匹一匹自分の羊の名を呼んで連れ出すのです。 先頭に立つのは羊飼い、羊はそのあとについて行きます。その声を知っているからです。 知らない人にはついて行かず、反対に逃げ出します。聞き覚えのない声だからです。」”
ヨハネの福音書 10:3-5 JCB