「個」の癒着を引き剥がそう

「個」について、いつくか記事を書いた。



これについて、あ、そういうことなんだなー、と思うことが最近あった。


私は、「個」でいる時間がすごく大切だ、と思っている。


「個」と全体 ー 1人の時間、の記事に書いた通り。




世界はひとつで在り、私は全体の一部で在り、全体は私の一部である。




「個」があるからこそわかる世界がある。「全体」の中にいるからこそ、わかる「個」がある。

その繰り返し。




ずっと引きこもっていたいわけじゃない。そうではなくて、「個」であることにきちんと意識を向けてあげるということなのだ。







それが必要なのはきっと、私自身が、ものすごく影響されやすい人だから。

だから常に、自分が「自分」に立ち還る時間を取ることを意識的に取る必要がある。


そしてね、それと同じくらい大切なのは、




「個」を癒着させない、ということ。

どんなに大好きでも、ずーっと臍の緒くっつけてるわけにはいかないのだ


「個」の癒着があると、ものすごく面倒臭いことが起きるのです。


子供との「個」の癒着、夫との「個」の癒着、親との「個」の癒着。


癒着があると、現実を受け止められないことが生じる。

自分と一つ、私と同じ、と思っていると、そうでない現実が生じた時に、それを受け入れられないから。


子供の反抗、親の期待、夫との関係、、、

なんで?どうしてわかってくれないの?どうしてそんなこというの?そんな態度をとるの?

と、悲劇のスパイラルにはまって行きがち。

癒着が起きているから。自分自身が勝手にくっつけて、分かった気になっていた。分かってもらえる気になっていた。分かってもらえるもんだと思っていた。

だから、勝手に期待して、勝手に絶望して、勝手に不機嫌になって、勝手に不幸になっている。


でも違うんだよね。


一人の人間なのだよ。一人の「個」なのだよ。

それが、「個としての尊厳」なのだと思う。

癒着を切り離す。本当に、ただそれだけ。


私と、目の前の人は、「個」としてそれぞれ存在しているのだ。

それを知っているからこそ、聞ける。耳を傾けられる。知りたい、と思える。

自分の価値観や想像を押し付けることなしに。



私たちの結婚指輪には、箴言の言葉が刻まれている。

「みつよりの糸は、簡単には切れない」、という聖書箇所。

私と、相手と、神様。

一つというのは、相手と完全一致した状態になることではない。

一体になる、というのと、一致する、というのは、全く違う、と思う。


それぞれの糸が絡み合い、一つの糸を作り上げる。

それは、相手と完全一致することでも、相手をコントロールすることでも、相手にコントロールされることでもない。


相手と、紡いでいく、ということ。

それを願い、その努力を重ねていくと言うこと。

人生は、その積み重ねなのだろうな、と思う。


ということで、「個」の癒着を切り離して「個」の尊厳を大切にしていきたいな、と思う日々です。


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