「個」と全体 ー 1人の時間、人との時間
(「「個」として生きる孤独と喜び」のつづき)
今回のイタリア旅行、実は行くまでに一悶着ありました。
去年の年末、謙ちゃんに話したんだよね。
「来年、アッシジに行きたいんだよね」
「ひとりで」
この一人で、というのが、私はとーっても大切だと思っていた。
誰の価値観もないまっさらな中で、感じ取りたい、と思っていたから。
イタリアの外と中の境目が曖昧なの、いいなぁ。
昔から、一人でふらっとどこかへ出かけるのが大好きだった。
特に何をするでもなく、特に何を決めるでもなく、ふらふらと、導かれるがままに、気のままに。
一人だと、自分のアンテナに100%従って行動できる。
そういう気軽さが、この旅行では欲しかった。
気軽に入ったお店で食べるピザ、気軽に入った店主との会話とか。
Googleのレビューで星4.8だから行く!!!!!
とかではなくて、
その場に行って、あ、あのお店、なんかいいな、と思って入る。
そういう旅行にしたかったのです。
誰かと行くと、なんとなく、失敗しちゃいけないような気がして、気が張ってしまう。
事前に調べなきゃ、とか、計画立てなきゃ、とか、そんなことに頭がとられて、
その場を感じることを忘れてしまうことが多いから。
失敗したって、全然いい。
なんなら、一日テラスでぼーっとするのでもいい。
そんな旅行。
だけど、謙ちゃんは、一人で何かする、なんてことはあり得ない人。
いつでもなんでも人とシェアするのを楽しむ人。
そんな謙ちゃんからしたら、「一人で行きたい」=「あなたのこと好きじゃありません」というぐらいインパクトある発言だったのだろうね。ものすごい衝撃を受けて、会うあらゆる友人にその話をしていた。笑
そーゆーのじゃないのに。
色々と話し合って、結局最初は二人で行って、謙ちゃんが先に帰ってくる、というので落ち着来ました。
二人で楽しくカフェタイムしたよん♡
一人になりたい私。人と一緒にいたい謙ちゃん。
そんな二人がパートナーとなり、共に人生を歩んで行こうと思う時、どうすれば良いんだろうね。
きっとそこには答えはない。
どうすれば良いか、という答えはない。だけど、どう在りたいか、については、答えがある。
大切にしたい。感謝したい。愛を伝えたい。
ただそれだけ。
謙ちゃん、いつもありがとう。
一人になりたい。そんな欲求が自分のなかでは常にあって、だからいつも学校という場もしんどかった。
「一人」になれる場がない、と思っていたから。だから、大人になってとても楽になったのは、
「一人」でいられる。「一人」の時間が取れる、ということだった。
特に、テレワークが進んでからは、さらに楽になった。
「一人」になりたい、というのを孤独で寂しいことだ、という
人を好きになれない、人と一緒にいることを楽しめないなんて、、と思っていた部分があった。
でももうね、そういうもんじゃないと知ったのです。
世界はひとつで在り、私は全体の一部で在り、全体は私の一部である。
そう知った時、私はもう、そんな括りだってどうでもいいことなんだな、と思った。
「個」があるからこそわかる世界がある。「全体」の中にいるからこそ、わかる「個」がある。
その繰り返し。
ずっと引きこもっていたいわけじゃない。そうではなくて、「個」であることにきちんと意識を向けてあげるということなのだ。
それが必要なのはきっと、私自身が、ものすごく影響されやすい人だから。
だから常に、自分が「自分」に立ち還る時間を取ることを意識的に取る必要がある。
そういうのが、必要ない人もいるんだなぁ、とびっくりした。
一人一人、与えられた素材があって、その素材ごとに、素材の活かし方も全然違う。
私に与えられた課題は、「私」という素材を知り、その活かし方を知ること。
ただただ、それだけ。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。