「知りたい」「感じてみたい」という願い
わからない。わかりたい。知りたい。感じたい。
それが、私の中での強い欲求として、常に渦巻いているのだと思う。
(→やってみたい!という衝動)
なんだかわけわかんないような衝動に駆られて、
なんだかわけわかんないようなことも、たくさんしてきた。
それは、知りたい。から。
自分がそこで、
何をみて、
何を嗅いで、
何を感じて、
何を思うのか。
知りたい。
それって、止めようがない衝動なんだよね。
だって、やってみないと分かんないことって、たくさんある。
その「知りたい」って、私にとっての原動力。
「今の現状から逃れたい思いからの一手」は、うまくいかないことが多い。
そうじゃなくて、
「新しい〇〇に挑戦してみたい思いからの一手」は、後悔することはない。
そうやって積み重ねた経験って、絶対に自分にとってプラスになるし、他の人へもプラスにしていけるもの。
仕事もそう。
好きそうだな、嫌いそうだな、そういうのもあるのにも関わらず、
私は突っ込んでいくタイプで、なんでわざわざ、、っていう人もいるけれど、
やっぱりやってよかったな、と思う。
それは、実感として、私は本当に何が好きなのか。何が好みでないのか、知ることができるから。
やってみて、感じてみたい、と思っているから。
そうかもしれない、ではなくて、あ、そうなんだ、と実感するのでは、天と地の差があると思っている。
そうした経験の中で、全ての経験を、自分の糧にしてあげることができる。
実感すると、もうどうしようもないよね。
それに基づいて、次の一歩を決めていくしかない。
そうなのかな、違うのかな、、と悶々とするのではなくて、もう、あぁ、やっぱりそうだったんだな、と腹が決まると、
それなら、どうしよう、と、次のステージに考えを巡らせることができる
この、あぁ、そうなんだ、というのは、諦め、にも似ている。でもどちらかというと、明らめる(あきらめる)、という感じ。
もうそれなら、仕方ない、という感じなんだけど、ネガティブな意味ではなくて、それがそうであることを知り、分かる、ということ。
そして、それを受け入れ、生きていく、ということ。
そうやって生きる中で、自分の願いを叶えていくことができる。
その一歩一歩を重ねていくことで、毎年毎年、今まで想像もしなかったような景色を、見ているな、と思う。
国家公務員として働いたことも、
ドイツの聖書学校に行ったことも、
西アフリカのリベリアで暮らしたことも、
働きがい日本No.1に選ばれた外資系戦略コンサルで働いていることも、
ぜーんぶ、その時々で、自分で願うものを選択して、進んできたから。
「知りたい」「感じてみたい」
私の願いは、いつもそこにあった。
だって、それこそが、この肉体を与えてくれた何よりものギフトだ、と思っているから。
誰でも自分の願いを知り、選択していくことができる!♡
いろんな転職活動に関する悩みを聞く中でも、いつでもそう思う。
いつも、チャンスは転がっている。
今年は変化の年!♡
いつも、想像もしなかった景色が広がっていることに感謝して、また来年のまだ見ぬ景色に向けて、ワクワクして生きて行きたい。