自宅出産をする、という選択③
自宅出産する、ということへの憧れ?は実はずっと前からあったのです。
初めて「自宅出産」の話を聞いたのは、アフリカのミッショナリー家族の出産の話を聞いた時。彼女は、普段はジャングルのような場所に住んでいるのだけど、出産の時は都市部の方に戻ってきていたんだよね。で、本当なら助産師さんが当日来てくれる予定だったんだけど、陣痛が来てから電話したら間に合わなくて、主人に取り上げてもらった、という話をしていた。
とても華奢で美人なアメリカ人の方で、もう私はそれを聞いた時、唖然としてしまったのです。言葉をなくした。
何言ってるんだ?と何回もその話を頭の中で反芻していたのです。
というのも、その時私は理央をお腹に宿していて、日本に里帰り時に出産する病院について考えていたからなんだよね。
リベリアでの出産も、一瞬考慮してみたものの、衛生面、管理面、技術面で、絶対やめた方が良い、と自分でも思ったし、当時主治医だったアメリカ人のドクターからも言われていた。もし、母国に帰れるという選択があるのなら、もしもの時のために、絶対に帰国して産んだ方が良い、と。実際、通っていた病院は都市部でも一番大きい部類の病院だったんだけど、看護師さんが「あれ、これどの母親の子だっけ?」みたいに話しているようなところだったから。
だから、まずリベリアで産む、という選択は無し。と思っていたし、そういうもんだと思っていた。
だから、今目の前にいるこの小柄な女性が、笑いながら「あなたも知っているあのお家で、助産師さんが来る前に子供が生まれちゃったのよね。主人がとても慌ててつつ、取り上げてくれたわ。二人目も実はそうで、その時は主人も慣れたもんだったわね。」と話しているのを聞いて、もう衝撃以外の何者でもなかったのです。
「カラマーゾフの兄弟」を読んでいた時も、リザヴェータ・スメルジャーシチャヤという白痴の女性が、フョードルの家の頑丈な塀を乗り越えて庭の木戸の近くにある風呂場で一人出産する、というシーンがあるのだけど、それがとても印象的だったのを覚えている。
で、最初は、「ありえない、、」と思ったのだけど、
しばらくそれについてじっくり考えていた。
リベリア人の友人もみんな、自宅で出産しているじゃないか。数十年前までは、日本でだって、それが当たり前だったじゃないか。どうして、自宅で出産する、という選択が消えてしまったんだろう?どうして、「病院じゃなきゃいけない」と思っているんだろう?どうして、自宅で出産する、ということが、ありえないことだと思っているんだろう?
いろーんな考えが頭を過ぎる中、でもどんな状況でも、女性は「産む」という力が与えられている、という事実に、ものすごく衝撃を受けたのです。私たちは、誰のサポートがなくたって、本来、この命を宿した限り、この命をこの世に産み落とす、という力を、内に宿しているのだ、と。
もうその事実に、ガーンと頭を殴られたようだった。
そんなふうに、妊娠・出産を特別な物としなくて良い。
それは、自然の営みの一つでしかないのだ。
私たちは、その自然の営みの一つを行っているに過ぎないのだ、という事実。
神様が、そういう風に、私たちを作ってくれている、ということ。
そんな、内に宿る力を、強く強く感じた瞬間だった。
だから、今回二人目を妊娠した時、自宅出産、ということについて選択肢として上がってきたんだよね。それが、コロナに後押ししてもらえた、という感じ。
コロナのおかげでもあるんだな、と思うと、世の中の巡り合わせの不思議さ、を考えてしまう。コロナ以外にも、一緒に歩みたいと思える助産師さんと出会えたこと、謙ちゃんが専業主夫してくれていること、去年東京の一戸建てを購入できたこと、理央の出産の経験、そういうの、一つでも欠けていたら、自宅出産という選択がなかったかもしれないと思うと、全てを準備してくださっていた神様に感謝しかない。
理央を出産したときの大いなる気付きはこちら
私たちも、この自然の一欠片なのだよね。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。