その先に求めるものは?2
前回の記事のつづきです。
もう一つ、Western Cultureの点で話をするとすると、
「Westernのmodern cultureは周囲の声より自分の願いを優先にすることで、「honorable person」って感じるんだけど、興味深いのは1000年前の戦士が二つの「暴力」と「同性愛」っていう強い願望がある時「暴力」の性質は自分の一部、だけど「同性愛」は自分ではない。。。と思うけど、その同じ願望が今の時代の人だったら「同性愛」はpart of who I amで「暴力」はnot me...I have to go to anger managementって。。。
皆「正解」を求めているけど、外側からの正解も、内側からの正解も結局自分の「理想」を「達成」することでしか得られないからプレッシャーは大きいなと。。。」
その正解だって、結局はその時代(外側の要因)に自分がフィットしているかどうかで
自分自身をどうするのかを決めているから、自分の中で葛藤があるわけだよね。
自分自身の理想は、その時代(外的なファクター)によって形が変わると思っている、ということだよね?
私は、それこそが、おかしいんじゃないの、と思う。
自分自身という存在がここにいて、
自分が感じているものが確実にここに在って、
それを自分が汲み取っているのにも関わらず、
それを時代が違うというから、人が違うというから、否定しよう、
なんてしてたら、
そりゃ苦しいでしょ。
自分自身を、引き裂こうとしているようなものでしょ。
だって、感じているんだもん。
それ自体が、存在している、ということなのだよ。
ここで、自分自身から、引き剥がそうとするから、混乱する。
自分が感じていることが、間違いのように感じてしまう。
自分自身では、どうすればいいかわからなくなってしまう。
そりゃそうだ。
自分自身を、自分自身から引き剥がすなんてできない。
これらは全部、順序を間違えるからこうなるのです。
正しい順序を踏めば、こんなふうにして苦しむ必要がない。
だからこそ私は、「まず、感じなさい。そして、それを受け入れなさい。」
といっているのです。
それが十分にできた時に初めて、「んじゃ、自分はどうしたいの?」と自分自身に問えるから。
感情の奴隷になる必要がなくなる。
自分自身を否定する必要がなくなる。
その上で、どう生きたいのか、選択していける。
こうしてこそ、ようやく、自分の意志で生きることができるのです。
これも、本当に、涙が出るほど、美しいことだな、と思う。
これこそが、人間が自由意志を与えられた幸せであり、
神様との歩みを踏み出せる、かけがえのない瞬間だな、って。
1000年前の戦士が「暴力」は自分の性質で、「同性愛」は自分ではないと感じたのはなぜ?
1000年前は、「暴力」が当時は許容されていたから?
でもこの暴力だって、もしかしたら、大切な誰かを、護るためかもしれない。
今の時代に、「暴力」を否定している自分がいるのだって、
守りたい相手のため、自分をマネージメントする必要があるって、感じてるからかもしれない。
どっちだって、「愛」に、つながっているかもしれないじゃないか。
それを許容するか、否定するか、が大切なんじゃないんです。
その先に自分は、何を願っているか、こそが、大切なんです。
そうすれば、「暴力」に固執する必要がなくなる。
「暴力」というものに振り回されなくなる。
だって、自分が本当に願っているものは、「大切な人を大切にしたい」という、その思いだもの。
それを達成するためには、「暴力」という形でなくても、
他にも様々な形で、表現していくことができるのだから。
これこそが、そういった概念から、解放される、ということ。
そこに、固執しなくなる、ということ。
本当は、何を願っている?
そんなの、本人にしかわからない。
「暴力」がその人にとって何を意味していて、「同性愛」がその人にとって何を意味するのかは、
私たちがとやかく外から口出すことではないのです。
同時に、「私」の内側にあるものは、「私」こそが、見つめてあげるしか、ないんだよ。
「私」にしか、わからないんだもん。
C.S. Lewis は
"We should bring to God what is in us, not what ought to be in us."
「私たちの内にあるものを神の前に出すのであって、私たちの内にあるべきものを出すのではない」
といったのと似ている。
私たちは、まず第一に、私たちの内にあるものを、出すべきなのだ。
どうあるべきか、とか、それが良い悪いなんていうのは、くそくらえです。
そんな上っ面の戯言を述べる前に、まず自分自身を曝け出してみなさい、と思います。
「理想」を「達成」するからこそ、喜びを感じるんじゃないんだよ。
そのに辿り着くまでの全ての神との歩みが、全て、喜びなのだ。
そして、「理想」を「達成」することに正解があるのでもない。
自分と神の願いを正しく知っていて、次踏み出す一歩を知っていることに、正解があるのだ。
“You will show me the way of life, granting me the joy of your presence and the pleasures of living with you forever.”
Psalms 16:11