日本語では子育て、というけれど、
英語ではよく、Parenting と表現する。
私はこの言葉がすき。
別の記事でも書いたのだけど、
子どもって、勝手に育っていくものなのだ。その時その時に、自分に必要なものを選びとって、成長していく力をもう内に秘めている。
私たちにできるのは、経験という宝を得る機会を与えてあげることだ、というふうに私は考えていて。
「子育て」というと、なんだか「教えてあげないと」みたいな感覚を持ってしまう。どうしても、上から目線になってしまう。
でもParenting っていうと、「もっと自分の在り方とは?」というようなイメージになる。
大切なのは、子どもがどうか、というよりも、自分がどう在るか、の方だと思うから。子どもはそこから、勝手に学んでいくものだな、と思う。
この前、アメリカ人のカップルから、Baby Led Weaning という本を薦めてもらった。
そのアメリカ人家族は2人の子供がいるのだけど、その子達が好き嫌い全くせずに、よく食べる。
それで興味本位でこの本を読んでみたら、とても面白いコンセプトだったので、私たちはその方向で離乳食を進めています。
その方法は、
大人と同じ食事を、6ヶ月以上の赤ちゃんに与える。(ただし、砂糖と塩は使わない)
ピューレしない。スプーンで与えたりしない。俗に言う”離乳食”を与えない。
私たちが食べているものと同じものを、子供にも与える。
子供が好きに鷲掴みして、好きなタイミングで、好きなだけ食べさせる。
パンを掴んで口にいれてる理央。
無理に食べさせない。子供が自分で手を伸ばして、口に入れるのを待つ。
大人が食事をする際には、毎回参加させてあげる。
私たちがするのは、バランスの良い食事を提供する、というだけ。
これは、赤ちゃんは、自分に必要なものを本能的に知っている、という信頼からきている考え方なんだよね。
そして、赤ちゃんは、自分でやる機会を与えてもらうと、驚くほど早くそれを習得する、ということもその根底にある。
子どもって、周りの人の動きをコピーしよう、とする意志がすごく強いから、食事に参加させてあげることで、私たちからどんどんと学んでいくのです。
これも、自分たちの在り方から、赤ちゃんがどんどん学んでいくいい例だな、と思った。
内面も、外面も。
理央も6か月になったので、食事に参加するようになった。
これがすごく楽しくて楽しくて、毎日の楽しみになってます。
食べ物をよく観察して、私たちが食べているものと見比べて、手を一生懸命使い、口に持っていく。
私たちがどう食べているかよく見て、真似しようとする。
お皿を食べたり、水を吐き出したり、なんでも試してみて、一番やりやすい方法を模索している。
その姿が、とてつもなく愛しい。
コップを食べる理央
理央の生後6ヶ月の日、近所の人からもらったゴートの脚をグリルしました。
理央もゴート肉、すごく嬉しそうに、ひたすらに噛み噛みしていた。
私たちができることは、オファーすることだけだ。
子どもがどれを選び、どのペースで進めていくのかを決める権利を守ってあげる。
子どもだって、大人だって、意志をもっている。
だれもそれを奪うことはできない。
この子に目一杯、いろんな経験をさせてあげよう、と思ったのでした。
そして、そのいい例を示せる親でありたい、と。