こどもができて、何が一番変わった?という質問をもらうのだけど、
ずっと、う~ん。と思って、上手く答えられなかったのです。
それが、あ、そうか、私は、変わっていってる最中なんだなぁ、と気付いた。
まぁ出産はそりゃ、どかーん!という出来事なんだけど、私の中で、それがすぐに昇華できたわけではなくて、
じ~んと、日々染み込んで来ている。日々日々、じわじわと。
私はまだ母親だ、という自覚は全くないから、「お母さんになったんだね」と言われると、自分でびっくりするのです。え!?私お母さんなの!!!?って。笑
でも、そうした日々の生活の中で、毎日授乳しながら、あ、わたし、この子の母親なんだなぁ、と、愛おしく思う瞬間がある。
その中で、私の考えがものすごく変わって、生き方にまで影響してきているな、と思うのが、
自分の体への考え方
でした。
出産した時、すごくすごく痛い。そりゃ痛い。もういやだ!助けてくれ!と思う。叫ばずにはいられないほどに。
気絶するんじゃないか、って思う。むしろ、気絶したい、、、!!!と思う。
それでも、出産できるのって、心でコントロールできる以上の力が完全に働いていたからなんだよね。
それはもちろん、神様によって与えられる力なわけなんだけど、その力が、私の肉体に組み込まれている、ということに、ものすごく衝撃を受けたのです。
まだお腹に入れておきたい、と思ったって、無理。
もう一瞬でも早く出したい!!!!涙 と思ったって、無理。
完全降伏。
陣痛にノックアウトされて虫の息
そしては私は、自分の肉体が、10か月かけて骨盤を押し広げ、内臓を押し上げ、体をボロボロにしてまで育ててきたもう一つの命を、こうしてこの世に送り出すまでの働きを、私の意志が全く届かないままに美しく、完遂してくれる。その事実が、衝撃だった。
今までは、体って、戒める対象だった。自分の意志で、肉体を律しなければならない、といつも考えていた。
それが、神様から与えられた完全なる賜物だ、と思うようになった。
ありがとう、ありがとう、って、感謝せずにはいられなくなった。
もし私の意志でコントロールできるとしたら、赤ちゃん生み出すって、絶対無理だもん。
理性的に考えたら、絶対無理だもん。
あの痛みを耐え忍ぶの、絶対無理だもん。
でも、それを可能にしたのが、私の体だった。神様が与えてくれた、この体だった。
初対面。ずっと、待っていたよ。
理央を出産した後、病室に運ばれて、しばらくお腹に手を当てて、呆然としていた。
この10か月の間で、数え切れないほど、こうして手をお腹に当ててきた。もうそれは、無意識だった。
そして、気づいた。
あ、もうここに、いないんだ。って。
10か月間一緒に過ごしたあの子は、もうここにいないんだ。って。
そして、この命のために、押しやられた内臓、引き伸ばされた子宮、緩められた骨盤、体全部が、形を変えていた。仕事をこなしていた。完璧なまでに。
その事実が、すごくすごく衝撃だった。
この体が、あの子を形作ってくれたんだ。この体が。
どうして今まで、感謝してこなかったのだろう。
ありがとう、ありがとう、って、何回呟いたかわからない。
体のパーツ、一つ一つ触れながら、ありがとう、ありがとう、って、呟いた。
手のひらがじーん、と暖かくて、私はこの時を、待っていたんだな、と感じたのでした。
この宝のような経験が、したかったんだ、と。
だから、理央を産んで、大きく変わったな、と思うのは、自分の体への感謝の仕方でした。
そして、自分の体へ感謝していたら、産後、不思議とするっと、体重も落ちた。
産後数週間で、お出かけしてるんだもんね。
女性の身体って、本当にすごい。
産後3週のとき、 謙ちゃんとバラ園へお出かけ
あぁ、これから、生き方が変わるな、と思った瞬間でした。