秋がきた♡

嬉しいな、嬉しいな、、、♡


なぜだかわからないけれど、物心ついた日から、「あ、秋がきた」と思う日が、一年で一番好き。

秋だ!きのこ狩りだー!

秋だ!きのこ狩りだー!

春がきた♡も同じくらい好き、、♡お日様がポカポカして、ベンチに座って、暖かいココアと柔らかい日差しで温まる一日。


でもなんだか、秋はまた特別。

どれが食べれるキノコだろう、、

どれが食べれるキノコだろう、、


頬を撫でる風が冷たくて、とても心地よい。

心が、じーん、と、するのです。


あ、秋だ。季節が、巡る。また一つ、また一つ。


リベリアにいた時は、四季がなかったから、こういう幸せはなかった。

あ、春だ。あ、夏だ。あ、秋だ。あ、冬だ。


そうやって感じられるのって、どうしてこんなにもジーン、とくるんだろう。




謙ちゃんと昨日、BIble Studyをしていたら、

“so that the Scriptures might be fulfilled: ‘When they see what I do, they will learn nothing. When they hear what I say, they will not understand. Otherwise, they will turn to me and be forgiven.’ ””

‭‭Mark‬ ‭4:12‬ ‭NLT‬‬

“それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。”

‭‭マルコによる福音書‬ ‭4:12‬ ‭JA1955‬‬

という箇所が出てきた。


う~ん。どういう意味だろう?と思っていたら、ふと謙ちゃんが、


薪のパチパチとはぜる音。

鳥の泣き言。

川のせせらぎ。

木の葉の擦れ合う音。

そういうのって、普段は意識しないけど、意識を向ければ、よく聞こえてくるものだね。


と言っていた。

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謙ちゃんは、こうやって、ふとした時に、ドキッ、とさせる。

淡々と、真理を語るから。なんのフィルターもなく。




私たちの日常も、そうなんだろうな。

たくさんの音がある、たくさんの想いがある、たくさんの声がある。

そう言った中で、今私たちは、何に意識を向けているだろう?どこにフォーカスしているだろう?どんな想いに、願いに、欲望に、感情に、意識を向けているだろう?


自分たちが意識を向けているものが、よく見えてくる。

逆に言えば、自分たちが意識を向けていないものは、よく見えていないのかもしれない。


もし今の現実が、自分の願っているものと違うのならば、

その意識を向ける先を、変えてみると、もうそこに違う世界があることに、気づくかもしれないね。


大切なものに、意識を向けよう。



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