本当は、どうしたい????その①
アフリカを離れて、日本で暮らしているのだけど、
その間に、とても楽しみにしていたことがあったのです。
それは、9月末にアメリカで行われるリトリートに参加すること。
リベリアだったり、他の紛争地域や被災地域で働いた後って、
その時の経験がもとになり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する人って少なからずいて。
一方で、日本のような先進国に戻ると、普段そうしたアフリカでの生活や経験を語る場面って
ほとんどないから、そのギャップに苦しむ人が多いんだよね。
だからこそ、そうした人達に向けたリトリートがアメリカで予定されていて、
それに参加予定だったのです。
リベリアで仲良くなった友達も大勢そこに参加する、と聞いていたから、
仲間に会えるのも、そうやって自分たちのアフリカでの生活を、きちんと振り返って整頓するのも、
カウンセリングを受けるのも、みんなで神様について話すのも、楽しみでしょうがなかった。
そして、このリトリートには、子どもは参加できないので、理央を母に預けていく予定だったのです。
理央なしで、数日間も過ごしたことは、理央が生まれてから一回もなかったから、その中で自分がどう感じるかも、
とても興味があった。じっくりと、考えたいことがたくさんあったから、そうやってまとまった時間が取れることが、とても楽しみだったんだよね。
ただ、8月になって、さて飛行機を取ろう、となった時、
4日間のリトリートに参加するのには、理央を7日間、母に預けなきゃいけない。ということが判明したのです。
7日間。。。
私はもう行く気満々だったので、「ヘぇ~、そっか。結構長いな。」くらいにしか思わなかったんだけど、
謙ちゃんが、
「え?7日間は、長すぎるでしょ。理央がかわいそう。」
と言ったのですよん。
「理央がかわいそう。」
「理央がかわいそう。」
「理央がかわいそう。」
、、、え???
「理央がかわいそう。」
もちろん、普段はお母さんとは一緒に住んでいないから、
理央にとっては、あまり知らないところ(私の実家)に、あまり知らない人(私の母)と他の人(私の姉妹)のもとに、
一人置いていかれる、ということになるのです。
数日間なら、いいかな、と思っていたけれど、
7日間は、長すぎる。
「理央がかわいそう。」
と言われたのです。
このさ、「理央がかわいそう。」ってワードって、
母親が一番苦しむワードだよね。笑
「かわいそう」って言われると、
自分が悪い母親のように感じる。
自分が、大切な我が子に、悪いことをしているように感じる。
ようは、罪悪感を煽られる。
まぁ、この罪悪感っていうのは、ダミーなんだけどね。
さて、んじゃどうする?となった時、
1、みんな行くのを辞める
2、他の日程で行く(理央がもうちょっと大きくなってから)
3、今、理央を置いて2人で行く
4、私は残って、謙ちゃんは行く
の4つの選択肢があったわけです。
困った。
私はこの時間を、ちょーーーーーーーーーーーう楽しみにしていたから、
「謙ちゃん、んじゃ、いってらっしゃい~」
なんて簡単に言えない。
私も何が何でも行きたい!と思っていた。
でも同時に、冷静に理央のことを見てみると、寝るときは時に、私がいないとすんなりと寝れないんだよね。
何時間も号泣して、泣き叫んで、目真っ赤にして疲れ果てて寝る。
そんな理央を、7日間母に預けるのは、いかがなものか?
理央にとっても、お母さんにとっても、負担にならないかな?
そんなことを、考えていた。
んじゃ?どうする?
ってなった時に、
理央がかわいそうだから行かない。
とか、
お母さんに悪いから行かない。
とかで、決めない。
そうすると、絶対後悔するって、知ってるから。
だって、理央は泣き叫ぶかもしれないけれど、最後は寝れるし、
お母さんも、行きたいなら行ってきてもいいよ、と言ってくれているのです。
預けてみないと、どうなるかなんて、わからない。
もしかしたら、お母さんのこと超好きで、すんなり寝るかも。
私たちの知らないような寝かしつけ方、見つけられるかも。
そんなの、やってみなきゃわかんないじゃないですか。
しかも、やってみないと、一生頼めないじゃないですか。
誰かに言われた「かわいそう」と鵜呑みにするのは、辞めたほうがいいよ。
「かわいそう」かどうかなんて、本人にしかわからない。それは、外部の人がどうこういうことではないのです。
本人にしか、わからない。当事者たちが、決めていくことなの。
んじゃ、私はどうしたい???
と聞く。
リトリートに行って友達と会いたい、
アフリカでの生活のこと、きちんと整理したい、
神様のこと話したい、
カウンセリング受けたい
と
理央を置いて行きたくない
の引っ張り合いの中で、
私はどうしたい????
となった時、
「私は、理央と一緒にいたいな。」
と思ったんだよね。
それは、「理央がかわいそうだから」でも、「お母さんに悪いから」でもなくて、
「”私が”今しかないこの時期を、理央と過ごしたい」と願ったのです。
リトリートにちょーーーーーーーーーーーーーー行きたかったから、
この決断には自分でもビックリした。
絶対に、リトリート行くと思ってた。
だから、本当に?本当に行かなくていいの?
と思ったけれど、
うん、いま、理央と一緒にいたいな。
と思えたんだよね。
そして、この選択に直面するまでは、見えていなかったものが、たくさん見えてきた。
行きたかったら、行ってもいいよ、と行ってくれたお母さんの優しさ
そして、何も心配することなく、理央を安心して預けることができるお母さんの存在
理央との時間が私にとって、ここまで大切なものだという気づき
いつも私の意思を尊重してくれる謙ちゃんの存在
アフリカでの生活を共に過ごした仲間の存在
離れて暮らしていても繋がれる友達の存在
いつでも繋がれる、神様の存在
いろ~んな、「ありがとう」に気づけた。
だから、結果として、リトリートに行けなかったことはとても残念だったけれど、
残ったことを後悔することは一切ないし、
むしろ、もっともっと、毎日の時間が愛しくなっています。
謙ちゃんがいない間に家族で旅行した♡
ひこにゃんと背比べっこ
美味しいもの鱈腹たべた♡
理央も嬉しそう。笑
琵琶湖の目の前でした。湖って、海と違ってまたとてもとても良いな〜と感じたよ。今まで琵琶湖バカにしてました。笑 ごめんなさい!
これもエクシブ琵琶湖での写真♡
これが
自分に問う
ということ。
周りが、、、
って言わない。
自分が、どうしたいか。
それをまず、自分に問うていこう。
その中で、無限の気づきがある。
無限の感謝がある。
そしてなんと、アメリカから帰ってきた謙ちゃんが、
たーくさんお見上げ買ってきてくれた♡
のと同時に、
「ろんちゃん(私のこと)もカウンセリング受けなよ。」
と言ってくれたのです、、!!!!
そんなことができるだなんて知らなかったのだけど、
オンラインでもカウンセリングをしてくれるらしく、
謙ちゃんが勧めてくれた。。。
こんな形で願いが叶うとは思っていなかったので、
嬉しくて仕方なかったです。
ということで、
次回はカウンセリングを受けた話♡