「優等生」の悲劇。③
の続編です。
そうそう、そして、ある日、
あ、私、これ辞めよう。
って決めたんだよね。
「ダメなやつ」に、なってみた。
そしたら、色んな感情が、ドブァーーーーー!と押し寄せてきた。
例えば、謙ちゃんの叔母様のお家へ行った時、
ご飯をいただいて、
お皿洗いをする、だったっり
酒をみんなのコップに注ぐ、だったり、
ベッドメイキングをする、だったり、
はっ!私がやらなきゃ!と思っていた。
そして、すぐに行動していた。
でも、そこで、ぐっと我慢して、やらないで見た。
そして、自分の思いを、淡々と、観察してみた。
あ、こうやって座っていることで、おばさまに、だらしない子と思われるかな。
主婦として、失格だな、と思われるかな。
なんでこんな子と結婚したの、と思われるかな。
・・・・・・・・・・・
そんな思いが、次々と湧いていた。
そうか、、、
自分の中で、
おばさまによく思われたいんだな。
謙ちゃんによく思われたいんだな。
だから、こんなことしてるんだな。
、、、あれ?ってことは、
自分の為にしていたんだ。
「家族の為」と思いつつ、自分の名誉のために、しがみついていたのは私だった。
そして、
「家事は女性がするもの」という古ーい考えを、
自分が一番に採用して動いてたんだな。
「妻だから」やらなきゃいけない、と思っていたんだ。
「女だから」やらなきゃいけない、って。
あ~、やっぱり、「家事」は私の仕事なのかな。
謙ちゃんも私も同じくらい時間があるけれど、「女性の仕事」だと思っているんだなぁ。
と、冷静に見れる。
そしたらようやく、じっくりと、
んじゃ、私はどうしたいんだろう?
と問えるのです。
世間一般(少なくとも目の前の人)からしたら、これが常識かもしれない。
それ今までは、それを無意識に採用してきたかもしれない。
でも、私は、本当は、どうしたい????
これ、これが、本っっっっっっっっっ当に大切。
この問いを、じっくりと自分に問えることが、自分と向き合う、と言うことなのです。
自分を生きる、ということなのです。
別に、洗濯が「女性の仕事」なんて誰が決めたんだ!って怒って、私は洗濯しません、って頑なになる必要なんて全然ないし、
「女性」の役割についてジェンダー差別がどうのこうのって、戦う必要はないの。
ただ、問う。
私はどうしたい????
そして、そう在ればいい。
自分の在りたい、と願う姿で、在ればいい。
一番近い人に伝えて、そう在ればいい。
それが何よりもの、強い主張となるし、影響となる。
誰かに、その正当性を認めてもらう必要はない。
今ここで、自分から始めればいい。
きっと、なんで千尋さんは動かないんだろう?
なんで千尋さんは何もしないんだろう?
って思われる。
だけど、いいんだ。
私たちのありたい在り方は、こうなんです。
そういう、無言の主張となる。
そして、ああ、そうなんだ、そういう在り方も、ありなんだな、って、
思う人は思う。思わない人は、思わない。
でも、それで、いいんじゃないかな。
それが、それぞれの生き方になる、というだけだもの。
何より、自分たちは、今までにないくらいに満たされて、
幸せで、豊かさを感じられる。
そしてそれってやっぱり、周りの人の幸せに繋がっているんだよね。
maru cafe♡大好きな人の作るごはん、幸せすぎた。
だから、もう一度言う。
人の欲望の奴隷になるな。
神様が創った、私たちの
本来の姿で輝いていこう。
そういう意味で、私は
“No.“ と言える女性は、強く美しい♡
と思っています。
ということで、
「優等生脱却のすすめ」でした。