プラハへ行ってきました。
プラハ城 ヴルタヴァ川から
とっても綺麗な街並み。第二次世界大戦の被害が少なかった街だからこそ、
中世の美しい街並みを未だに味わうことができる。
どの街角も、可愛かったなぁ。
去年はリベリア、その前はドイツ、3年前は日本、4年前はカナダでこの時期を過ごした。
4年前のカナダ、Grand Prairie。初めて一人での海外旅行だった。英語もまだ全然話せなかった頃。
どれも、かけがえのない思い出。
大学生の時は、いつも日本の外に出てみたくてしょうがなかった。
部活に所属していた関係で、海外へ行く時間が作れずにいて、ものすごく葛藤していた。
日本の外の世界を見てみたい。高校の頃から、そればかり考えていた。
それが、こうした形で実現していることが、すごく嬉しいのです。
神様が用意してくれるものは、いつも私たちの想像をはるかに超えていて、美しい。
海外に住み始めて、もうすぐ3年目になる。
気づけば、世界中に友達ができた。
外を見てみたい、と思っていた私は、外に出て何を感じたんだろう?
大きな気づきとしてあったのは、環境は、すべてのきっかけでしかないんだな、ということ。
今までたくさん言い訳してきた。
自分ができないこと、環境のせいにしたり、日本のせいにしたり、相手のせいにしたり、
今自分が所属している環境が悪いのだ、だから、うまくいかないのだ。
あの人が悪いのだ、だから、うまくいかないのだ。
でもそうやって環境のせいにして、環境に屈していたのは、自分だったんだな、ということに気づかされた。
うまくいかない原因を、環境に探すのって、ものすごく簡単。
「これさえ変われば、、」
って思うのって、ものすごく簡単。
でも、そうではなくて、自分が本当は何を願っているのか、それによって、何が得たいのか。
それに対して、自分は今何ができる?このコミュニティーに、何が与えられる??
そうやって、1日1日を過ごしていくことが、何よりも大切なんだよね。
友達のTrineが、謙ちゃんに、「You will be successful whatever you do.」と言っていた。
私もそれを、すごく強く感じる。
それは謙ちゃんが、絶対環境のせいにしないから。
自分が何ができるか、どんなインプットができるか、それを見つけ出すのが、天才的に上手だから。
自分はまだまだ未熟だな、と思わされる。
そして、それこそが、愛なのだ。
“Love is patient and kind. Love is not jealous or boastful or proud or rude. It does not demand its own way. It is not irritable, and it keeps no record of being wronged. It does not rejoice about injustice but rejoices whenever the truth wins out. Love never gives up, never loses faith, is always hopeful, and endures through every circumstance.”
1 Corinthians 13:4-7
「愛は寛容であり、親切です。愛は決してねたみません。また、決して自慢せず、高慢になりません。 決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。また、いら立たず、腹を立てません。人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても気にとめません。 決して不正を喜ばず、いつも真理を喜びます。 愛は、どんな犠牲をはらっても誠実を尽くし、すべてを信じ、最善を期待し、すべてを耐え忍びます。」
第一コリント人への手紙 13:4-7
イライラするとき、不満に思うとき、自分に問うてあげよう。
んじゃ、どうしたら自分は幸せなんだろう?
自分は、何を願っていたんだろう?、と。
何が足りないか、でなく、何ができるか、に焦点を当てると、
世の中が全く違った場所になる。