(Repost) 私たちの「進歩」と「正解」
もう7年も前のポスト!だけど、この頃から、ずっとこの考えは変わらない。
物質的世界や、知的世界のようなProgressと外から判断されるものではない。
もっともっと、内側を、じっくりと見つめる時間。
人として、もっともっと、美しくあるために。
たとえ、これが世の中から評価されなくとも、
自分にとってかけがえのない時間だったと言える。
それが何よりも、大切なことなんだな、と思った。
私は他の人の人生を生きているわけではないのだから。
私は私の人生を生きることに、恥じることなどないのだ、と。
結局は、世の中がどうこう、、、というのをやめて、シンプルに、自分の正しいと思う生き方を1日1日していくことが、本当に大切になっていると思うのです。
この世の「進歩」が私たちに真の豊かさを与えてくれないのであれば、それにNoという強さを身につけなければならない。
外に正解を探すのを辞めよう。答えは内に、もうあるのだから。そして、何を正解とするかは、自分自身が決めていける。
東京のように、より物資的な豊かさに溢れたところだからこそ、自分たちにとっての真の豊かさを育む時間を意識的にとっていきたいな、と思うのです。
9月9日は結婚2周年記念日でした。
謙ちゃんと結婚できたこと、今でも奇跡のように感じている。
こんな素晴らしい人と人生を共にできることに、感謝と感動でいっぱいです。
一緒に過ごせば過ごすほど、それを感じる。
すごいね。結婚って、こんないいものだと知らなかった。
そして、今は理央もいて、家族になった。
自分たちの子どもがいる、という感覚は私には未だに不思議で。
でもかけがえのない、大切な存在がいてくれることが、とても愛おしく思います。
私たちのところへ来てくれてありがとう。
結婚してからドイツへ行き、そして今はリベリアに住んでいるのだけど、
「リベリアで何しているの?」
と聞かれる質問に対して、どう答えればいいんだろう?とずっと葛藤があった。
それは、
「何しているの?」=「どんな仕事しているの?」であり、
「どんな仕事しているの?」がその人を測る質問だ、と感じ取っていたから。
(なんだかそれでジャッジされているような気がしていた、というか、自分で自分をジャッジしていたのかもしれない)
だから、「Samaritan’s PurseのAgriculture teamに参加して、ボランティアしているよ」
と答えていたし、これは事実なのだけど、
自分の中で同時に違和感もあったんだよね。
神様が自分をリベリアに連れてきた理由は、もっと他のものだと思うのに、
それをうまく掴むことができなかった。
だからこそ、妊娠期間はつわりでオフィスに行けなくて、しんどかったりしたし、
自分の役割について、生き方について、すごくすごく考えるきっかけになったんだよね。
それは理央を出産するまで続いた。
今回リベリアに戻ってきたときに、少し不安があった。
「私は何をするんだろう?」って。
子育て?
もちろんそれは、フルタイムの仕事です。
でもそうじゃなくて、自分が本当に欲しい物事の見方は、どこにあるんだろう。
そうずっと考えていた。
そんなときに出逢ったのが、MARGIN (by Richard A. Swenson)という本だったのです。
それがもう、まさに、まさに、私が知りたかったこと、ずっと不可解に感じていたことを説明してくれたのでした。
それは、
MOST OF OUR PROGRESS:
Physical environment(wealth, technology, health - the material world)
Cognitive environment (knowledge, information, education - the intellectual world)
MOST OF OUR PAIN:
Social environment (family, friends, neighbors, church - the societal world)
Emotional environment (feelings, attitudes - the psychological world)
Spiritual environment (the eternal and transcendent - God)
ということ。
私たちは、より良い生活を求めていて、より深い幸福を求めていて、
でもなんで、より良い生活が手に入っているように見えても、求めている幸福を手に入れられないんだ?何が欠けているんだろう?
そんな疑問が、ずっと頭をよぎっていたんだよね。
そしてその答えは、
私たちの考えるProgress(進化、進歩)は、それを与えてくれないのだ、ということ。
Progress(進化・進歩)は富、科学、健康などの物質的世界、そして知識、情報、教育などの知的世界からくる。
一方で、私たちのPain(苦しみ、痛み)は家族、友達、近所の人達、会社の同僚などの社会的世界、そして感情や態度などの心理的世界、最後に永遠、超越的な世界(神様)からきている。
そして面白いのは、Progressを追求すればするほど、”より多く”のものを与えられるのだけど、同時にPainも”より多く”与えられることが多い、ということ。
世の中は、Progressを追求していくことで幸福が得られる、と教える。だからこそ、その人がどんなProgressの要素を持っているかの話をする。(どこの会社で働いている?とか、どんな大学出ているの?とか、どれだけお金を持っている?とか。)だけど、それは必ずしも私たちが追い求めているものを持っている、私たちが願う幸せがそこにある、とは限らないのです。もしくは、今抱えている苦悩が、そうしたProgressを追求することで解決させるとは限らないのです。
"Our society tries in vain to remedy these problems using the popular notions of progress - appropriating more money ( that is, material/physical answers) and setting up more classes (that is, cognitive/educational answers). But insufficient funds and lack of education are not the problem. The problem is lack of love."
社会は進歩という一般的な概念を用いて問題を解決するように試みている。それはより多くのお金(物質的回答)だったり、それに関しての授業(知的回答)だったり。だけど、お金の不足や教育の欠如が問題なわけではないんだよね。問題は愛の欠如なんだよね。
いらないものにNoということの大切さ、を書いた通り、
絶えず与え続けられる今の世界において、自分に本当に大切なものを、大切に守る意思を貫かないと、
自分の幸福に気づけずに時を過ごしてしまう。
そうじゃない。
そうありたいわけじゃないと思うの。
この瞬間から、豊かさを、幸福を感じたいんだと思うんだよね。
そして、それは可能なのです。
“What if, instead, we were begin measuring our progress not by our wealth but by our virtue; not by our education but by our humility; and not by our power but by our meekness?”
「進歩」を富でなく美徳、教育でなく謙虚さ、権力でなく従順さを基準とし、判断したらどうだろう?
そしてこう言っているの。
“Above all, measure your progress by your experience of the love of God and its exercise before men.”
何よりも、神の愛を味わうこと、そして人にその愛を与えることを、あなたの「進歩」としてはどうだろうか。
結局は、世の中がどうこう、、、というのをやめて、シンプルに、自分の正しいと思う生き方を1日1日していくことが、本当に大切になっているんだよな。
外に正解を探すのを辞めよう。答えは内に、もうあるのだから。
そして、何を正解とするかは、自分自身が決めて、歩いていかなければならない。
ということで、
「リベリアに来て何しているの?」
と聞かれる質問に対して、
ようやく答えが出た。
私に与えられたのは、Marginだった。
空白の2年間。それを、神様が与えてくれたのでした。
この2年間で、自分の内側を、神様が整えてくれているのを、強く感じる。
自分への自信のなさ。世の中の見方。人への接し方。お金への考え方。自分自身であるということ。
そういうのが全部、神様との関係の中で、構築され、堅固にされている。
物質的世界や、知的世界のようなProgressと外から判断されるものではない。
もっともっと、内側を、じっくりと見つめる時間。
人として、もっともっと、美しくあるために。
たとえ、これが世の中から評価されなくとも、
自分にとってかけがえのない時間だったと言える。
それが何よりも、大切なことなんだな、と思った。
私は他の人の人生を生きているわけではないのだから。
私は私の人生を生きることに、恥じることなどないのだ、と。
このかけがえのない2年間が与えられていることに、感謝します。
神様、ありがとう。