イタリア旅行。生と死について考える① フランシスコ教皇の帰天
イタリアにつきました♡
カモメさん♡
ローマで数日過ごし、今はアッシジにいます。
イタリアに降り立ったとともに、バチカン市国のフランシスコ教皇が帰天されたことを知った。
ちょうど到着した次の日が23日(水)、フランシスコ教皇が聖ペトロ大聖堂に移動される日の朝。10 年ぶりにバチカンにいこうと思っていたけれど、入口が人で溢れかえっていた。テレビ局のクルーや警察官たちが、忙しなく動き回っていて、慌ただしさがあった。
ということで、中には入らず、遠目で確認。
4/23(水)朝8時のバチカン。この手前にイエローテープがひかれて、ここからは入れないようになっていました。
特別な時に、この場所を訪れているんだな、という不思議な感覚がした。
まだ言葉にできない。
お悔やみ申し上げます、という言葉も、すこし違う気がする。
フランシス教皇の遺言にあった、
「永遠のいのちにおける大きな希望を持って」
という言葉が、やはりクリスチャンとして、とても大きな意味を占めていると感じた。
教皇だから、とかは関係なく、一つの命がこの世から去ったこと。
そのことを思う。
たくさんいたうちの一人。
命に重みの差はない、と常に思う。
でも、一つ一つの命が、平等に、重い。
だからこそ、その重みを感じて、平和を祈る、その時としたいな、と思った。
そして、残された命ある私たちは、今日という日を、命ある限りキラキラと輝かせて生きていきたいな、と思う。