「美しくあるために、抵抗を。」その2
そして、考えていたのが、「これがあれば、便利になる」と思って所有しているものって、本当に多いなぁ、ということだった。だけど同時に、そのもの自体を「持てば」⇨「豊かになる」と頼りきっていると、そうなるとも限らないんだなぁ、とも。
人間関係と同じだよね。「あの人と結婚すれば」⇨「幸せになる」みたいな。そんな相手に自分の幸せ任せ切ってたら、絶対に幸せになんかなれませんて。って感じのさ。
使えば、あれば、生活にプラスになると思うものが、家の中に散乱していて、結局使われずに、場所だけ取っている、、、みたいなさ。それって、なんてもったいないことだろう、と思う。時間も、お金も、空間も、資源も。そして、そういったものが、自分のうちにもスペースを蝕んでいる、と思うんだよね。これって全部、自分の望む姿、生活がどんなものか、曖昧になっているから起きちゃうんだろうな。本当は自分はどうしたい?どう在りたい?という問いからブレてしまうと、自分の願いを忘れてしまって、そのものを購入した先に求めていたものも、わからなくなってしまう。もしくは、購入した♡という満足感で終わって、購入した途端ゴミにしてしまう。だけど、「ゴミ」になったことに気づかずに家において、家をゴミ屋敷にしてしまう。だけど、本当はどうしたいの?ゴミ屋敷に住みたいわけじゃないよね?その自分の、ありたい姿、信念を、うちに持っていないと、それがすぐに身の回りに出てくるんだな、と気づかされた瞬間でした。
本当に必要なものって、すごく少ないんだと思う。
物の多さ=豊かさ、という時代はもう終わったんだ。どれだけ自分が愛せるモノがあるか、自分がときめくモノがあるか、それが、一人一人の豊かさなんだと思う。そして、愛は循環していくもの。本物の愛は、人を自由にしてくれて、人を安心させてくれて、人に力を与えてくれる。そんな中で、暮らしていけたら、最高だよね。それ以外のものは、必要ないんだと思う。これからは、どんな風に足していけるか、ではなくて、必要ないものにNoというのが大切なんだろうな。と思う。これが、私の中での一つの、「美しくあるために抵抗を」ということ。
溢れるほどの、情報に溢れるこの時代に必要なのは、自分にこれは必要ない、と言える力なんだろう。そのためにも、「自分には何が必要か」を知っている、ということなんだろう。
自分のうちに光り輝くそれを、どれだけ大切にしてあげられるか。どれだけ神様を愛せて、自分を愛せて、人を愛せるか。愛で溢れる空間。私ももっともっと、作っていきたいなぁ。
つづく