「美しくあるために、抵抗を。」その1
リベリアから日本に帰ってくると、驚くことがたくさんある。
それこそ、違う惑星に来たよう。
羽田空港に降り立った時に、レッドカーペットにキスしたくなる、という気持ちがわかった。
なんてすべてが秩序正しいんだろう。なんて綺麗なんだろう。すごい、日本に帰ってきた。
こんな国が存在するのか、奇跡だ、と感動する。
リベリアなんて、到着した空港でトイレすら使えなかったもんね。。
ベルトコンベア動いてなくて、従業員が手で全部の荷物運んでたもんね。。
本当に違う惑星だよ。。タイムスリップしたかのよう。
自分がおどおどしているのがわかった気がする。笑
そんな中で、一つ思ったのは、
「なんて日本は雑音が多いんだろう」ってことなのです。
電車に乗るときも、外を歩いている時も、絶えず外からの圧力が働いている。
「こうあるのが幸せだ。」「これを手に入れれば快適に。」「こうして理想の体を。」「仕事を変えれば、、。」
無意識に刷り込むかのように、世の中の「理想のこの姿に、あなたは到達していない。これを手に入れて、到達に近づこう。」が雑音として溢れかえっている。
私それで、1日で頭痛くなってきたよ。。
違うのに。もうこんなにも溢れているのに。
なんでそれに、気がつかないんだろう。
なんで世の中は、その幸せを感じる方向ではなく、「不足」だと感じさせる方に、人々を引き込もうとしている。
それが、”消費社会”なのだろうか。
うーん。なんだか悲しい。
最近、灰谷先生の兎の眼をオススメしてもらって読んだのだけど、抵抗が大切ですよ、という箇所が出てきた。
「人間は抵抗、つまりレジスタンスが大切ですよ、みなさん。人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません。」
その時は、どういうことだろう、、と考えていたのだけど、
私にとっては、こういう世の中が押し流そうとする方向に流されず、自分にとっての幸せを知っていることだな、と思ったの。
抵抗、って何かに逆らう感じで言葉が好きではなかったんだけど、こういう意味では、完全に世の中への抵抗をする、ということになるなあ、と気付いた。
つづく