先日はカリフォルニアから来ている宣教師の家族とディナーをしました。

DanとDanielle夫妻。ForestとBraveryという可愛い子供がいます。

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海外で生活をしていると、一つ一つの概念が本当に日本と違っているな、と思う。

特にアフリカで暮らしていると、駐在員として色々な国から来る人たちと交流がある。

そして、それぞれの国ごとに考え方が異なっていて、話していると面白い。

子育てにしてもそう。

リベリア、エチオピア、アメリカ、イギリス、等々、みんな考え方が違うんだよね。

赤ちゃんはいつから外に出していいの?とか、離乳食はどうやって始める?とかとか。


そして思うのは、それぞれの価値観の中で、正解だと思うものを見つけていくことが大切なんだな、ということ。


アメリカでは、赤ちゃんも独立した個人とみなして、違う部屋のベットで寝かせるのが主流。

一方で、co-sleepingと言ってあえて一緒に寝ることを選択する人もいる。


 うちらはDockatotを使ってco-sleeping♡

 うちらはDockatotを使ってco-sleeping♡

エチオピアや日本では、赤ちゃんの外出は1ヶ月後から、と言われている。

だけど、イギリスでは、生まれたらもうお散歩に連れていって新鮮な空気を吸わせる方が健康的、と新生児を連れてお散歩している。


子育てをすると、この可愛いの我が子を育てる責任が自分たちにある、という責任感から、「正しいこと」をしなきゃいけない、とプレッシャーがかかる。

「ベストなことを」、と思えば思うほど、自分がやっていることが「正しい」のか不安になる。

だけど、調べれば調べるほど、たくさんの相反する情報が出てきて、自分のやっていることの「正しさ」が揺らいでしまう。


そりゃそうだ。絶対的な「正しさ」を見つけるのって、すごく難しい。

私が子育てで迷うことももちろんあるのだけど、いつも気をつけているのは、今目の前にいる我が子の、命の輝きを見つめれている?、ということ。

 喜びのあまりブレブレの理央。笑

 喜びのあまりブレブレの理央。笑

子どもを育てる責任は、自分にある、と考えると、これをしてあげなきゃ、あれもしてあげなきゃ、これが足りないんじゃないか、とか無限に出てきて疲弊してしまう。(私の場合。笑) そうじゃなくて、この子はもう、自分で自分に必要な能力を身につけていく力を持って、生まれてきたんだな、と、感じるのです。そして、その事実って、本当に力強い。毎回感動してしまう。あぁ、この子は、自分に必要なものを、そのベストなタイミングを、知っているのだ、という事実に。だからこそ、私がしてあげられることって、何かを「教えてあげる」ことではなくて、たくさんのことを経験するチャンスを与えてあげることなんだな、と思ったのでした。その中で、この子は何が自分に必要なのか、見極めていく力を持っている、そして、それを選び取っていく力がある、と信じてあげること。それが、私の中での子育てなんだな、って。

一人の人間が、こうして一つ一つ成長していく姿をそばで見守ることができるなんて、子育てって、本当に素晴らしい機会をもらってるんだな、と感謝でいっぱいです。


子供がこんなに可愛いだなんて、知らなかった。それが知れて、本当に嬉しい。

この子たちが持つ、魂の輝きを、見つめることができて、本当に嬉しい。



そんなことを、お手伝いさんのBenethaが理央にお水をあげてる姿から感じたのでした。

 服ビショビショの状態で玉転がしの練習。笑

 服ビショビショの状態で玉転がしの練習。笑

理央はまだ上手に飲めないから、いつもタオルを添えてあげるか、食事用ビブをつけてあげるのだけど、Benethaは何にも気にせずにそのまま理央に水を飲ませてあげていて、理央の服が全身ビチョビチョになっていた。笑 でも、すごく嬉しそうに水飲むのにチャレンジしていて、そんな理央がみれたのが、すんごく嬉しかったんだよね。

あ、私、失敗しちゃいけないなぁ、とか、あんまり汚れないように、とか、まだまだ神経質になっていたんだな、と気づかされた。もっともっと、自由にチャレンジさせてあげよう、と心に決めた瞬間でした。


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