この10年の結論は、私の願いは「深い魂の充足を味わう」ということだった
この10年間、いろーんなことに苦しみながら過ごしてきた中で、つい先日、ようやくしっくりくる言葉を見つけた。
それは、私は、この10年間、ずっと深い魂の充足を味わおうともがいてきたんだな、ということだった。
その中で、この10年間考えてきたのは、
To have(持っているということ)は、深い魂の充足にどのような効果があるのだろう?ということだった。
思い返せば、
小さい頃の憧れの人は、マザーテレサだった。
小学校でのクリスマスプレゼントは、地球儀だった。
いつも、ずっと、貧しい人の助けになる仕事をしたい、と願っていた。
もちろん、誰かの力になりたい、という純粋な気持ちもあった。
けれど、きっとそれ以上に、
それは、写真で見る子供達の笑顔が、キラキラとして、私もそういう、曇りない笑顔の世界で生きたい、と思ったからだったのだと思う。
ずっと、自分の生きる世界に違和感を感じていた。
学校におけるルール。社会におけるルール。人を商品のように扱い、比較するような勝ち負けの世界。どんよりとした空気。
そういうのに、ずっとずっと、苦しいほどの違和感があった。
そして、そうした違和感に苦しんでいる人が、思ったほどいないということにも、苦しんでいた。
そんな中で、なんだか違う世界に住んでいる、曇りない笑顔に、強く惹きつけられたのは、紛れもない事実なのだと思う。
それもあって、新興国においても役立つ技術を身につけようと、農業を志し、北海道大学に行った。
家からも出たい、と強く望んでいたので、飛行機で行ける北の大地北海道は、私にとって何よりも魅力的な場所だった。
時が流れる中、アフリカに2年住むという経験もできた。
そして、その土地に住む人の力強さに、圧倒された2年間だった。
自分の価値を外側の何者にも決めさせない。そんなことは、一切関係ない。
大切なのは、「わたしに、何ができるか?」ただ、それだけだった。
小学校出ていなくても、友達の廊下を間借りして寝ていても、夫が暴力を振るってお金を奪っていても、
そんなことは、私自身の価値に、1mmも影響しない、という、強い姿勢。
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自分自身の人生観を大きく変えられたし、自分の生き方について、深く考える機会をもらった。
他にも、大嫌いで嫌悪していた政府機関に入って働いてみる経験であったり、
超激務でギラギラしてそうで似合わないかなと思う外資系戦略コンサルで働いてみたり、
そういった経験をする中で、そういった経験をしたからこそ、見える世界が、気づけた世界がたくさんあった。
だからこそ、自分自身に伝えてあげたい。
やっぱり、自分が願う経験に、まっすぐに手を伸ばしてみるべきだよ、と。
願うことは、間違っていないよ。
そのために、もがくことは、間違っていないよ。
どんな経験も、人生の喜びであり、人生の豊かさになるから。
どんな経験も、自分自身にとっての、深い魂の充足に何が大切かを、ひしひしと教えてくれるから。
そして、それらの経験の中で、自分という存在の役割が、その輪郭がどんどんとクリアになっていき、「自分」という存在としての役割を全うできるようになるから。
それらを通して、この世界に、たくさんのものを与えられるようになるから。
だから、自分の願いに、まっすぐに手をのばしてみるべきだし、その叶え方を、自分で学んでいくべきだと思う。
まずは、自分のことを知り、自分の役割を全うすることが第一。
それは、利己主義ということではなくて、きちんと、自分を愛する、ということ。
自分という存在を、きちんと大切にして、受け止める。
その中で、自分という存在を知り、その素材の活かし方を知ることができる。
それが、自分という存在を作り上げてくれた神様への敬意であり、愛です。
そして、それらを通して、周りの人を愛していくことができるのだから。
このブログでは、私自身が実行してきた経験からの学びを、多くの人に分かち合っていきたいな、と思う。
一人一人に、神様から、特別の願いが与えられている。
そうした願いとの向き合い方を、そして、それらを通じた、深い魂の充足ある人生の送り方を、多くの人と分かち合い、拡大していきたいな、と思います。