産休育休サイコー!と言えない世の中の風潮

産休育休って、私にとっては最高のギフトだな、と、今は思えるようになった。

女性でよかったな、と思う。そして、今は男性も育休をとれる時代になったので、本当にみんな進んでとるべき!と思っている。


というと、一部の女性からは怒られるのだ。


そんなふうに育休最高!って言うから、職場の人達は「私たちが忙しい間、育休とってゆっくりできたんだろ。遊んでたんだろ。」と思うんだ!って。



私もそれを感じたことがあった。

留学をしたくて、選考を受けていた時に、

「あなたは長く休みもとられてて、まぁ遊んでいたわけではないとも思いますが、そう言ったことを勉強する時間はあったんじゃないですか。」

と言われたのだ。


もうこれは、衝撃だった。

お前、育児したことあるのか!っと逆上しそうになったし、

そういうふうに考える人がいるということが衝撃的で、

そりゃ働く女性は辛いよなぁ、と思った。


世の中の役に立ちたい、と思ってこういう仕事を志望して、

身を粉にして働き始めたら、結婚・出産・育児という女性としての大きなライフイベントに悩んで、

子供を大切にしたいと思いつつも、職場ではそれは価値としてみなされなくて、他の人よりキャリアが遅れるように感じて、、

そんなんだったら、そりゃ子ども産みたくないし、育てたくないよ。

女性に生まれたことを悔やむのは、当たり前のように思う。


でも、こうした男性(+女性?)陣に反発しようと、

「出産・育児は大変なんです!遊びじゃないんです!」

と主張するのも違うと思うし、

「やっぱり出産・育児なんてするもんじゃないな」

と思うのも、私にとっては違うんだよね。


それは、相手に対して「反応・反発」した行動をしているだけであって、相手を説き伏せたい、分かって欲しい、という思いが根底にある。

そのために、出産・育児している自分を不幸者のようにする必要も、その大変さを主張する必要も、一切ないのです。

そうしている限り、女性はその呪いから逃れられないと思う。


私はもう、分かってもらって生きていこう、とは思わなくなった。


そう考える人がいるなら、もうそれは、しょうがないことなのだ。そんな人たちのために、自分を不幸に落とし込む必要なんて、一切ないのだ。


ただただ、幸せに、生きていく、と選択したのです。

それを決められたのは、

こちら

の記事で書いたように、

もうそう言ったことに関して、吹っ切れたからなんだろうね。


あぁ、もうやめよう、と思った。


それは、職場をやめよう、という辞めよう、ではなくて、

もう、組織にすがろうとしたり、分かってもらおうとする自分とサヨナラしよう、ということ。


そういうことに、エネルギーを費やすのをやめよう、ということ。

そこにしがみつくのをやめよう、ということ。


これをキッパリを決められたことで、

途端にものすごく楽になった。


もう、いいや。本当に、いいや。

組織が私をどう思おうと、世の中が私をどう思おうと、

もう本当に、どうでもいいや。


今目の前の人たちに、分かってもらえなくてもいいや。

それでも、私だけは自分自身のことを、どこまでも、分かってあげていよう。

もうそれでいいや、十分だ。


そう思えたからなんだと思う。



それは、許し、にも似ている。


苦しかった。

辛かった。

悲しかった。


そういう思いが、胸の中をぐーっと締め付けて、苦しくてどうしようもなかった。

分かり合えないこと、わかってもらえないこと、

そういうのが苦しくて苦しくて、しょうがなかったのだ。


でも、「もういいや」と手放せるか。


そこに執着したかった自分を見つめて、

それがなくても、大丈夫なんだよ、と言ってあげられるか。


あなたは、もうあなたのまんまで、大丈夫なんだよ、と。

それを、自分が一番、わかってあげられるか。




なので、私はそういうの全部まるっと呑み込んで、

産休育休って素晴らしい制度だな♡

またこの一年で素晴らしい経験をたくさんしよう!♡

と思ってます。


どんな経験も人生の糧に。もちろんたくさん「遊ぶ」ぞー♡

どんな経験も人生の糧に。もちろんたくさん「遊ぶ」ぞー♡


こうした時間が与えられることに、心から感謝です。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。

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