「自分の時間」はどれだけあるだろう?②:「24時間全部私のもの」と気づく


以前は、「自分の時間」が一人の時間だったから、

「自分の時間」がないとイライラし始めたんだよね。


私ばっかり家事してる!とか、私ばっかり理央の面倒見てる!とか、私ばっかり料理してる!とか、私ばっかりホストしてる!、、、と思うことがあった。


こんなにも私は人のために時間を使っていて、全く自分に使う時間ない!

あなたはずるい!そうやって自分の時間楽しんでてずるい!


要は、っていう主張ですよね。


でこれがこじれてくると、

やっぱり子供がいると時間がない!

子どもがいる限り、自分の時間なんてなくなるんだ!

人に尽くそうと思うと、自分の時間がない!!!


なんて言い出すのですよ。


昔のあるあるでした。。笑



でも、これって嘘っぱちなんだよね。

「子どものため」って勝手に思っているのは私たち自身で、

私たち自身が、そうやって押し付けているだけなんだ。


「私はこんなにも子どものために時間を使っています」

「私はこんなにも主人のために時間を使っています」

「私はこんなにも○○のために時間を使っています」

って。


だから、その対象から感謝されないと、怒り出す。

もしくは、他の人が同じようにしていないと、怒り出す。

その行為が崇められないと、認められないと、怒り出す。


でも、それって、がめつい生き方だよね。

それって、苦しい生き方だよね。



ミシェル・オバマさんも言っていたんだよね。

「なんで私は家事に育児に仕事に追われているのに、バラクはジムに行く時間があるんだ?」

と思ったって。

で、その時に、「あなたジムなんて行っていないで家のことも手伝ってよ!!!!」というのではなくて、

「よし、私もジムに行くことにしよう」と決めたんだよね。


それが、まさにキーだよな、と思う。


相手も同じフィールドに持ってきて苦しめようとするのではなくて、

相手も、自分も、そうすることを許す。


お互いの、本来の願いに素直でいる。

そして、それを叶えるために、どうすればいいかを、一緒に考えていける。

そんな関係性が、とても良いなぁと思います。


本当にそれを望むのならば、

そうするためには、どうすればいいのか、というのがいくらでもアイデアが浮かんでくるもの。



苦しさの中にいるのはやめて、幸せの中に生きよう。

だって、今ここに、私たちの時間は、在る。

みんな変わらず、24時間、与えられている。


それをどう使いたいかは、私たちの自由で、

その中でどう感じていきたいかも、自分たちで決められることなのです。


そう知ったら、誰といる時間も、何をしている時間も、

全て「私のもの」になった。そして、その中に幸せ豊かさを感じられるようになった。


自分がどんな時間が好きで、どんなふうに時間を過ごしたいのか、知れるようになった。もちろん、好みはあるもの。

そんな好みを知って、自分好みの人生を歩んでいけることが、

とても幸せです。



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ありがとう、ありがとう、ありがとう。


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