人、食、それが産み出すもの
今週末は、3連休!
ということで、長野です♡
謙ちゃんと理央は、もう新幹線で長野に向かっているので、
今晩は、東京で一人。
家族ができると、特に子どもができると、
こうして一人で過ごすことって、とても少なくなるから、
なんだかとても変な感じ。
でも同時に、とても貴重。
この前に、大好きなTim Makie のメッセージを聞いていて、
“I’m better person when I am with my wife. Much better.”
と言っていて、笑ってしまったんだけど、
私も全く同じだなぁ、と今日思っていた。
私は謙ちゃんといるときの方が、一人でいる時よりも、
ずっとずっとちゃんとした人間だな、って。
ずっとずっと優しい人間だな、って。
一人でいると、とても自分勝手になる。
私はもともと、美味しいものは大好きだけど、
食にあまり執着がない人で、
一人でいるときは晩ご飯にポップコーン作って食べてれば幸せ、
みたいなタイプなんだよね。
私にとって「食」というのは、
みんなで囲むものだから、
自分一人が食べるものとかは、
あんまり気にしないんだ。
こういう話をするとびっくりされる。
ラザニアやキッシュや、アクアパッツァ、
トルティーヤやPulled Pork、鹿肉のパイ包み、
デザートやグラノーラ、ハードパン
色んなものを作って、色んな人とわかちあって。
けど、別に、料理するの、好きじゃないんです。
食べるという行為そのものに、こだわりがあるわけじゃないんです。
でも、
「食」を囲んで、みんなで手料理を食べる。
という、コンセプトが、とても好き。
手にとる食材を愛でて、感謝するのが好き。
みんなで、美味しいね、って目を見て笑い合う時間が好き。
別に手料理じゃなきゃいけないわけじゃないけど、
手料理だと尚良い。
別に食材の産地を知っていなきゃいけないわけじゃないけど、
知っている農家さんだと尚良い。
それはやっぱり、私にとっては、
そこにある想いが、
私をどこまでも幸せにしてくれる、と
知っているからなんだよね。
愛があるものが、好きだ。
そして、私はずっと謙ちゃんと、
愛を作りだしていきたいな、と思う。
色んな形で、色んな所へ、
愛を分かち合っていきたいな、と思う。
料理は、そのための大切な手段の一つなのだ。
だから私は、どんなに「好きじゃない」、と言いつつも、
何度もそこへ戻り、また何かを作る。
そうやって、命をつないでいく。
それ自体が好きじゃなくても、
それが産み出すものが、大好きだから。
誰かがいる、ということで、こんなにも支えられているんだな、
なんて思った一晩でした。
ずっと謙ちゃんと、
愛を作りだしていきたいな
色んな形で、色んな所へ、
愛を分かち合っていきたいな
そんなことを思った、一晩。
“Surely your goodness and unfailing love will pursue me all the days of my life, and I will live in the house of the Lord forever.” Psalms 23:6 NLT
“生きている限り、主の恵みといつくしみが、 私を追ってきます。 やがて、私は主の家に帰り、 いつまでもあなたとともに暮らすことでしょう。” 詩篇 23:6 JCB