「愛する」は行為であって、感情ではない。②
前回、「愛する」っていうのは、willで行うものであって、mindの問題じゃないんです。
ってことを書いたのに、それについてよく説明していなかった。笑
なので今回は、その続き。
そうそう、私はあまり、自分の力で愛そう!みたいに思ってはいなのです。
愛したい、とは思っている。だけど、だからと言って、今持っている感情(mind)をひねくり回そうと思わない、という意味です。
それは、感情(mind)っていうのは、後から自然とついてくるものなんだな、と知っているから。で、これって自分の意思で自分の感情をどうにかしよう、としているのでなくて、やっぱり、内なる神様に、助けてもらっているんだな、という感じがする。前にスウェーデン人の友達と話をしていたとき、「あいつ、すごい嫌なやつだったんだけど、「許す」って決めたんだ。そして、神様にお願いした。『許せないけど、許すって決めました。だから許せるようになるよう助けてください。』って。」と言っていたのが、当時衝撃的で。許し、も、愛する、も、意思の問題なんだな、と。そして、行為は、それに付随してくるんだな、と。そして、感情は、そのプロセスの中で、変えられていくものなのだ、と。そういうプロセスの中で、浄化してもらえる感じ。
だからこそ、「決めるだけ」なんだろうな。
自分の意思を、はっきりさせる、それだけ。
will(意志)が先だつ。そして、行為が伴う。そのプロセスの中で、感情が変えられていく。そして、現実が変えられていく。
だから、決めなさい。
どうしたいのか。
何を願っているのか。
はっきりさせなさい。
その意思決定が、あなたを導いていきます。
そうやって包括的なコントロールをして、人生を歩んでいるのが、私たちsoulなのだ。
んじゃ、
どうやってはっきりさせるの?ということなんだけれど、これは好みなのですが、
私は、ノートに書くのをお勧めするな。
ただ、淡々と、ノートに書いていく。
今の現実を。願いを。思いを。