罪ってなんだろう??
罪って聞くと、何を思うかな?
私はずっと、キリスト教、という時に、
「自分が罪人であることを認め、反省し、イエスキリストに立ち返りなさい。そうすれば、憐れみ深い主があなたの罪を許してくださるでしょう。」
というふうに、言われるのが大嫌いだった。
聖書で、イエスの話を読むのは大好きだったんだけど、教会とかに行くと、「あなたは罪人です。反省しなさい!神に立ち返りなさい!」みたいに言われる気がして、それがほんっっっっとうに嫌だったんだよね。
もう、私を見る目が「罪人」である感じ。「罪人」ってレッテルを貼られる感じ。
お前に、罪人って言われる筋合いないわ。って思ってた。
っていうか、罪人ってなんなの???
罪人扱いするな!!!!!!!
と怒っていた。笑
大好きなおばあちゃんの後ろ姿。
んじゃ、罪って、なんだろう?
私が「罪」と聞くと、「犯罪」を連想するんだよね。
だから、「罪人」と言われると、「犯罪人」と言われているような気がした。そりゃ、いい気しないよね。
んじゃ、聖書で「罪」のことを、どう表現しているか、と見てみると、
Whatever is not from faith is sin.
Romans 14:23
すべて信仰によらないことは、罪である。
ローマ人への手紙 14:23
と書かれているのです。
ちなみに、Faith=信仰とは、、、ということを話すと、とても長くなるので、
ここではFaithを、神様に信頼を置くこと、と便宜的に定義します。
これを知った時、「私たちは罪人である。」ということの真意が腑に落ちた。
罪って、神様と繋がってないことなんだ。
確かに、私たちは日常の中で、神と繋がっていないことが、多々ある。
それが、そもそもの「罪」の根源なんだな。
だからこそ、私たちは「罪人」なんだな。
もちろん、法や決まりに反することをした時も「罪」を犯しているわけだけど、
聖書で言うところの「罪人」って、「悪いことをした」という表面的な行為を指していうのではなくて、
「神と繋がっていない」という状態のことをいうんだね。
これを知って、ようやく、「あぁ、私罪人だわ。 」って認められたのです。
そして、
「自分が罪人であることを認め、反省し、イエスキリストに立ち返りなさい。そうすれば、憐れみ深い主があなたの罪を許してくださるでしょう。」
という発言も、全く意味合いが違うものになった。
「自分が神と繋がっていないことを認め、反省し、イエスから学びなさい。そうすれば、憐れみ深い神が、あなたとの繋がりを深めてくださるでしょう。」
というように聞こえてくるようになった。
これは、私にとっては、とてつもない希望なのです。
もっともっと、深く、神と繋がりたい、と、いつも願っているから。
教会はずっと、神様との繋がりを深めるための大切な役割を果たして来たんだよなぁ
でもやっぱり、「お前は罪人だ!」と他の人に言われると、とても嫌だ。笑
これは、プライドが高いからもあるかもしれないけれど、それ以上に、
そういった「内面的」な状態のことについて、「外面的」にしか見れない他人がどうこういうべきではない、と思っているからだと思う。
それは、外から言われることでなく、それぞれが内なる自分と向き合った上で、
内から気づきが来るべきものだ、と思っているから。
なりよりも大切なのは、それぞれと神様との関係なのだ
うーん。知れば知るほど、神様、好きだなぁ。