お手伝いさんを雇い始めました。
パーマナッツ(パーマ油の原料)を食べるように勧められた日。
Beneath。去年は、野菜を売りに来てきた女性なのだけど、あまりに良い人なので、家事と理央のお世話をするのを、手伝ってくれない?と話してみて、我が家でお手伝いしてくれることになりました。
現地の人を家に入れる時って、やっぱりどうしても緊張する。それは、あまりに現地の人とは違う生活をしているし、彼らにとっては高価なものが家の至る所に置いてあるようなものだから。少し盗んで家計の足しにしよう、と誘惑されるのは、とてもたやすい。だから、お手伝いさんを雇う、となった時も、もう他の駐在員の家で働いた経験があって、信頼がある人を雇う、というのが一般的な考え方なんだけど、私はBenethaの事がすごく好きだったので、謙ちゃんに彼女を雇いたい、と相談したのです。そして、謙ちゃんにも彼女に会ってもらいました。
言語が違っても、人種が違っても、なんだか通じ合うものがある人って、いるよね。あぁ、この人、本当にいい人だなぁ、って、出会った瞬間わかる人っているよね。何がそうさせるのか、わからないけれど、その内側から滲み出る人間性がある。そして、Benethaはまさしく、「あ、この人、本当にいい人だな、信頼できるな。」と出会った瞬間感じさせられる人だったのです。(もちろん、本当に信頼するまでには時間をかけたわけだけどね。)
そして、謙ちゃんも、同じものを感じとったようで、Benethaをお手伝いさんとして雇うことに決まったのでした。
Benethaは野菜売りにくる女性でした
去年までは、「お手伝いさんいなくたって、自分たちでできる」ということから、雇ってなかったのです。
でも、「まぁできる」というのと、「やりたい」というのは、天地の差がある。
「まぁできる」を繰り返していくと、すんごくしんどくなる時が来る。何やってるんだろ、って。
逆にそういうのを手放して、他の人にお願いすると、本当にそのありがたさを知る。
今、Beneathは週3回来て、お家を綺麗にしてくれたり理央のお世話にをしてくれるんだけど、
お風呂やトイレ掃除だったり、キッチンの細かい部分の掃除だったり、お皿洗いだったり、
自分だったら、また今度やろう、、と思うような部分まで綺麗にしてくれて、
いつやろう、、と気を重くする時間が一切なくなって、
お部屋がピカピカになって、その時間も理央やけんちゃんとの時間に費やせて、
本当に本当に感謝でいっぱいになる。
ありがとう、ありがとう、ありがとうって。
綺麗なお部屋でいると、心もすごく晴れやかになるんだよね。
自分の心の汚れも、拭い去られるように感じる。
「自分でそれくらいやらないといけない」って思っていた部分があったのだけど、
どうして素直にやってもらおう、とお願いできなかったんだろう?と考えた。
それは、それが自立した、人間が当然にできることだと考えていたから。
でも、いいんだなぁ、と思ったの。できる、できない、で自分を縛り付けるのではなくて、どんどんと、人に頼っていくことをしていいのだ、と。
「こうあるべきだ」と意固地にならずに、自分が願う形を模索していって、求めていっていいのだ、と。
そして、それを経験してみることを自分に許して、いいのだ、と。
Benethaに来てもらうようになってから、家族でゆっくりする時間が増えた。本当に嬉しいことです。
ということで、Benethaが来てくれるようになってから、本当に毎日が快適でさらに楽しくなっています。理央も遊んでくれる相手が増えて、嬉しそう。
人の力を借りれるって、本当に素敵なことなんだなぁ。
そして、こうしてBenethaを雇えることによって、Benethaの家計を助けることにもなっている。
野菜を売り歩いていた頃とは違う、もっと安定した収入が手に入るようになったし、新しいスキルを手に入れることもできる。
こうやって、愛と豊かさを循環させていくことで、お互いを助け合うことができるんだな、と学べました。
もっともっと、循環させていきたい。
こういった経験ができていることに、感謝でいっぱいです。
神様、謙ちゃん、ありがとう、ありがとう、ありがとう。